2023年6月28祈祷会


2023年6月28日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:ローマ人への手紙15:30 (口語訳:新約253.頁)

 

 今日は誰かのために祈ることについて一緒に考えたいと思います。

 パウロは今日の箇所で、ローマ教会の人たちに言いました「どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい」と。この短いお願い事に、祈りについての教えが凝縮されているように思わされます。誰かのために祈るのは、同時に、その人と共に祈ることであるということです。ここの「共に力をつくして」という言葉は、「わたしと一緒に戦って」・「わたしと共に苦闘して」と訳される言葉です。英語のAgonize/Agony(苦しみ・もだえる)の語源となった言葉です。強い表現です。多くの場合、誰かのために祈る時、そのお相手と顔を合わせることもできず、そのお相手が祈っている時間と異なるのかもしれませんが・・「彼女・彼は今どのような願いと祈りを抱いているだろうか・・どのように過ごされているだろうか」という想像力を発揮しながら、共に苦(・・・)しんで、もだえて祈ること(・・・・・・・・・・・・)・・あるいは、信仰の友が一緒に(・・・・・・・・)苦闘し共に祈っていることを知ること(・・・・・・・・・・・・・・・)・・これはキリスト教会が誇れる「誰かのために祈り、共に祈る」文化だと言えるでしょう。独りで苦闘するのと、誰かと苦闘することは全然違うと思います。新たなチカラがそこで発揮されるのです。そこで私たちのために・・私たちと共に祈るイエスさまの姿も浮かび上がってくるのでしょう。

 先日ある人に「いつ祈っているんですか?」と聞かれました。「どんな時に祈ればいいのか」という問いかけが含まれた質問だったのでしょう。私は、その問いかけに対してこのように答えました・・「ある特定の時間(例えば朝一)に、祈りだけに集中するということも大事にしていますが、僕は最近意識しているのは、何かをしながら祈ることです」。なぜそのように答えたかというと・・一人になって祈りに専念する時間を持つことはとても大切なことですが、それを、皆が、いつでもできるわけではないからです。みんなが修道士のような生活ができるのではありません。また、私は最近フォカッチャ(パン)作りにはまっていて、あまり考えずにその作業をできますので、その時間は祈りの時として意識して持っています。運転の時もそうです。皆さんはいつ祈っているでしょうか?今日はパウロの切実な願いから、私たちの祈りについて考えさせられる箇所でした。     

                                                                                

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤ペンテコステ主日礼拝(説教:西本詩生牧師)

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 


2023年6月21祈祷会


2023年6月21日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:ローマ人への手紙5:18 (口語訳:新約239頁)

 

 祈祷会でこのようにお話をするのは2回目になります。前回は予定していた方が体調不良でできないという事で、そして今回はお願いしようとしていた方に断られたという事で、またお話しする機会をいただきました。他人(ひと)に何か頼まれる時、自分にはできないと思う事はよくある事なのですが、できない人には頼まないという考えの元、私自身は頼まれたら断らないという事を信条にしています。もちろん時間が取れないとか先約があるとかでお断りすることはあります。

 さて、人前で聖書のお話をするときはまずデボーションをします。お話しなくてもデボーションはしますが、このデボーションで私が大切にしている4つのステップがあります。

 ①与えられた聖句の背景を考える:誰が誰にどのような時に話されたことばなのかを理解することにつとめます。②登場人物の心情を考える:その言葉を語った人、または言われた人、旧約聖書の物語の中で名前が出てきた人などが、どのように感じたかを想像します。③私はどう感じたか:登場人物と自分を置き換えてみたりして、私自身はどのように感じたかを考えます。④どのように行うか:これらのことから日常生活の中で何をどの様に行うか、行動に結びつくように考えていきます。このようなステップを経て、今日与えられた聖句からお話ししたいと思います。

 ローマ人への手紙は、ローマの教会のイエスキリストを信じるという事の中で、ユダヤ人と非ユダヤ人との間で習慣やしきたりといったものの違いから起こった分裂に対して、一致してほしいというパウロの思いで、イエスの生涯、死、復活の良い知らせである『福音』の最も包括的な説明を書き送ったものです。そして、ここで書かれている『福音』こそが教会を一致させるのだと言っているのです。

 今日の聖句のある5章から8章では、人は信仰によって新しく造り変えられるのだということが書かれています。この18節については、人の始まりとされるアダムの犯した罪がその子孫である者たちも罪人となったが、イエスキリストの死によってその罪は赦されたという事を説明しています。

 聖書教育の毎日のみことばにも「イエスさまの十字架の出来事は、すべての人が義とされて命を得るためであったとパウロは語ります。」とあります。ですから、罪人の仲間だった私も、イエスキリストが私に代わって死んでくださったので、私も救われているという事だとパウロは言っている、と私は思うのです。そこで、このように救われている私は何をどの様に行っていけばよいのでしょう。まずは、今日のように何か頼まれごとをした時にはなるべく断らない事でしょうか。(笑)

 さて、今日この箇所からお話しするという事を少し後悔しながら、準備をしたのですが、ここまでお話ししたこのローマ人への手紙の背景や、パウロの心情など、実は「聖書プロジェクト」というYouTube動画をみて、その中にあった解説から引用しました。こんな私がなんとか聖書のお話をするために、色々な助けとなる物が与えられています。祈祷会での分かち合いは特に普段の生活の中で関わる神さまとの関係について、とても励まされます。これからも励ましをいただきながら歩むことができる事を感謝します。                                                                                 

(定免直未)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤ペンテコステ主日礼拝(説教:石橋大輔牧師)

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 


2023年6月14祈祷会


2023年6月14日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:ヨハネによる福音書21:25 (口語訳:新約179頁)

 

 イエスさまの宣教活動の期間は長くて3年であったと言われています。十字架と復活に至るまでの3年の間で起こされたことが、福音書で収められているわけです。そして、今日の聖書はこのように言います(私の意訳)「イエスさまとの思いではここで書き記したことよりももっともっとあるんだけど、それを全て記録するとしたら、この世界で収めきれないほどの巻物の数になってしまうだろう」と。多少大げさに言っているのでしょうが、イエスさまと一緒に月日を過ごした人たちは、イエスさまのことになると、話が尽きないということを言っているのです。

 なぜ、イエスさまのことになると話が尽きないのか・・このことを今日の祈祷会で一緒に考えたいと思います。イエスさまの周りでは、他では目にしたことがない、印象深い出来事が起こり続けたということもあるのでしょうが、それだけではないと思います。イエスさまと一緒にいると、他の出会いでは味わえない「何か」があった・・この点が、イエスさまのことになると話が尽きない大きな理由だと思うのです。その「何か」が一言や二言で語り切れなく、語りはじめたら、いつの間にか語り続けてしまっている・・そんなことがここで言われているのだと思います。

 例えば・・先日のスクルマン牧師は平安(ピンアーン)のテーマを説教で取り上げてくださいましたが・・私たちはイエスさまと出会う中で、他では感じたことがない平安を味わうのだと思います。でも、それは全ての悩み事が無くなるというような平安ではなく、葛藤や悩みもありつつも、それを包囲する平安・・その葛藤の内からじわじわと湧き上がってくる平安がある・・そのような体験を皆それぞれ持っているのだと思うのです。クリスチャンになったからこそ出会う悩みもいっぱいあるのでしょうから、やはり、イエスさまと出会う中で味わう平安は、単純に「平安」という一言では言い表すことができず、語り切ることはできないと言えるのではないでしょうか。

 ちょっと話が逸れてしまうのでしょうが、「イエスさまのことになると話が尽きない」ということを考えている時に、私が自分の献身の思いを、当時通っていた教会の牧師に打ち明けたことを思い出しました。その時点で、その牧師は、牧師としての働きを35年以上重ねた、言わばベテラン牧師です。その牧師がこのように私に言ったのです、「牧師のお仕事は大変ですよ。それでもいいのですか?・・大変ですが、とても恵み深いですよ」。当時私は、この発言をそこまで深く受け止めていませんでしたが、今になってその意味が少しだけ分かってきたように思うのです。確かに、牧師は“大変”といえば“大変”だとは思いますが、“楽しい”日々です。いつもウキウキワクワク・・弾けるような“楽しさ”ではありませんが、同じことを繰り返すという日はありません。教会にいると、毎日何かしら新しいことに目が開かされます。神さまが起こしてくださること・・出会わしてくださることは尽きない・・そういう恵み深さを今日改めて気づかされました。                                            

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤ペンテコステ主日礼拝(説教:西本詩生牧師)

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫

 


2023年6月7祈祷会


2023年6月7日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会 

 

本日の聖書箇所:コリント人への第一の手紙12:13 (口語訳:新約270頁)

 

 牧師をしていると、様々なことでお話を聞かせていただくことがあります。お話しの切口は信仰のこと、健康のこと、進路のこと、生活のこと・・・本当に様々ですが、どんなお話であろうと、掘り下げていくと、人間関係の課題が何等か絡んでいることが多いように思います。先日ある方が、印象的なことを言っていたことを思い出します。「当たり障りのない付き合いだけで生活をするのはいやだけど、濃すぎる人間付き合いばっかりで疲れ果ててしまう・・・ちょうどいい具合はないだろうか?」と嘆いていたのです。この方のボヤキを聞き、皆さんの中にも「あーそうだよな」と共感する人もおられるかもしれません。

 今日の箇所は、教会が一つになることについて語っています。教会は神さまに呼び集められた赦された罪人の集まりです。神さまによび集まれた教会ですけれども、人間関係の課題から免れることはないのが現状です。今日は、第一コリント12章13節という短いみ言葉から、神さまから見た「一つになること」ってどういうことなんだろう・・このことを考えたいと思います。

 パウロさんは教会が「一つになる」ことについてお話する時に、その人々の集まりを人の体にたとえました。教会は「一つのからだとなる」と言うのです。「一つのからだである」と言わず「一つのからだとなる」と言います。つまり、「一つのからだ」という完成した、欠けが一つもない完璧な形のことだけを言っているのではなく、それに至る道のり(プロセス)のことも含めて語っています。もしも完成の形だけをパウロさんが語っていたとしたら、この手紙が送られたコリント教会も含めて、どの教会も「お手上げ」するしかないのかもしれません。でも同時に、“一つのからだであることは不可能だ”と開き直るのではなく、一つのからだとなっていく方向性を常に追求していくことがここで問われているように思うのです。そういう意味では、最初に紹介した、ある方のボヤキの発言は健全であると言えるでしょう。一つになっていくことを望んでいなければ、上で紹介したような嘆きも生まれないわけです。

 一般的に「一つになる」ことは、相違が削られていき、同じになることだと考えられるかもしれません。けれども、パウロさんが「一つのからだとなる」ことを語る上で、違いがなくなっていくことについては全く触れていません。むしろ、違いは違いのままで残されることが読み取れます。ユダヤ人はユダヤ人であることをあきらめるのではありませんし、ギリシヤ人はユダヤ人になるわけでもありません。一つのからだとなっていくことを、それぞれが、もがきながら見出していくことを、パウロさんが語っているのだと思います。葛藤し、もがく中でそれぞれが変えられていくのでしょう。

 そもそも教会が「一つのからだとなっていく」ことは、自分たち発信のこととしては言われていません。13節の後半の直訳は「バプテスマを受け」と「一つの御霊を飲まされた」です。両方とも受け身の言葉です。神さま発信のみ業で、それを受けるのが私たちです。人付き合いでもがき、葛藤する私たちに神さまが「一つのからだとなっていく」道のりを備え、その歩みにおいて一緒におられ、共に葛藤されるのです。そうだとしたら、人間関係で悩まされているその葛藤は無意味なものではないのです。       

(西本詩生) 

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤ペンテコステ主日礼拝(説教:ディヴァン・スクルマン牧師(日本基督教団北海教区宣教師))

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

≪私の祈りのリクエスト≫