2023年月22祈祷会


2023年2月15日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会

 

本日の聖書箇所:ルカによる福音書8:40~48(聖書教育は42b~48節) (口語訳:新約100頁)

 

  今日の箇所は、「長血を患う女」として、有名な場面です。イエスさまが、危険な病状のヤイロの娘のところに駆けつけている道中に起きた出来事です。 

 12年もの長い間、長血に苦しんでいた女性が登場します。当時、長血の病は律法で「汚れている」とされていて、家にこもっているように定められ、人々から排除されていました。全財産を費やしても医者に治してもらうことは出来ず、経済的にも厳しい状況になっていました。12年という年月この女性は本当に孤独で、肉体的にも、精神的にも、経済的にも辛い毎日を過ごしていました。

 そんな中、女性は「この方なら癒してくださるはず」と確信を持ち、人込みに紛れてイエスさまの衣に触れました。するとたちまち病が癒されました。その御業の後すぐにイエスさまは「わたしにさわったのは、だれか」と問われました。ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」といっても、なおも「だれかがわたしにさわった」と言われ、ご自分に触れたのが誰なのかを探そうとなさいました。この時、イエスさまは一刻を争う病状のヤイロの娘のところに行く途中だったので、ヤイロや弟子たちは焦っていたと思いますが、それでもイエスさまは後回しになさらずに、隠れている癒されたはずの一人と出会おうとなさっていました。

 イエスさまをに夢中で今までこの女性に気づいていなかった群衆も辺りを見回し、女性に気づいたことでしょう。こっそり癒されて隠れて帰るつもりだったのに、律法を破った女性は命の危機を感じたと思います。イエスさまへの畏れと人々への恐れに震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、これまでのことと今起きた癒しのことをみんなの前で話しました。イエスさまはその話をしっかりと聞いてくださって、それから「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい」と言われました。

 「娘よ」という優しい呼びかけに、この女性はこれまで抱えてきた孤独が癒されるような、ほっとして気持ちになったのではないかと思います。そして、「あなたの信仰があなたを救った」ということばに、ただ信仰を認められただけではなく、これまで「汚れた」存在とされてきたあなたは、本当はきちんと人格のあるひとりの人として神さまに立たされている存在なのだ、という思いが込められているように感じます。最後の「安心していきなさい」ということばに押し出されて、この女性は新しく歩みだしていく力をいただいたのではないでしょうか。

 また、楽観的な願望を込めた読み方かもしれませんが、イエスさまとのやり取りを聞いていた周りの人たちも、この女性がどんな思いでこの12年間を過ごしてきたのか、またそのような思いを自分たちが抱かせてきたかに初めて気づかされたのではないかと思います。そして、イエスさまがしっかりと彼女の話を聞かれる姿を見、温かい言葉を掛けられるのを聞いて、今まで排除してきた彼女と、これからは共に歩んでいきたという思いに変えられていったのではないかと想像します。

 病が癒されただけでは、彼女のこれまでの心の傷は癒されることがなく、周りの人たちとの断絶も深く残っただろうと思います。ですが、イエスさまは彼女を探し、しっかりと出会ってくださり、その話を聞いて彼女の存在をそのまま認めてくださいました。このイエスさまの姿を見た時、私はイエスさまがどんな時も一人一人と出会い、しっかりと愛をもって向き合って下さっていることを感じます。そして、隣人の思いに気づき、共に歩むようにと促してくださっているように思わされます。このイエスさまの愛を、今日改めてみことばから聞くことができ、感謝です。

 (西本めぐみ)

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(説教:西本詩生牧師)。

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。


2023年月15祈祷会


2023年2月15日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会

 

本日の聖書箇所:コリント人への第一の手紙16:1~4 (口語訳:新約276頁)

 

    今日は、パウロがコリント教会に宛てた手紙から読んでいます。1節では「聖徒たちへの献金」という文言で始まりますが、ここで出てくる「聖徒たち」とはエルサレム教会のことです。エルサレム教会はキリスト教の最初の教会です。パウロはこの教会の支援のために、各教会に献金を呼びかけていました。
    この時のエルサレム教会はどのような教会だったのでしょうか?まず、エルサレム教会の起源・・教会が誕生した様子を見たいと思います(使徒行伝2:42~47、4:32~35)。パウロが今日の手紙を送った時より15年ほど遡った時にエルサレム教会が誕生しました。聖霊が、それぞれの上に降るというペンテコステの出来事で教会が誕生したのです。「聖霊が降る」という出来事はとてもドラマチックな出来事であったと思いますが、その後の教会の様子も大変印象的であったと思います。教会に加わった信徒たちは、自分の持ち物を持ち寄って、全てを共有し、「乏しい者は、ひとりもいなかった」のです。自分の土地を売り、そのお金を教会の分かち合いのために献げた信徒もおられました。エルサレム教会の出発は、イエスさまの復活(希望)を証することと同時に、皆が助け合い、「貧しい人々」も含めて、一緒に生きようとする志からのスタートであったのです。そして、この志は、イエスさまから受け継いだものでした。イエスさまは希望のメッセージをそれぞれに届け、特に貧しい人々と一緒に生きました。
    エルサレム教会が誕生して15年が経ち、教会はどのような状態だったのでしょうか。クリスチャンにとってエルサレムは決して過ごしやすい町ではありませんでした。なにしろ、イエスさまはエルサレムで殺されましたので、その後も、イエスさまを慕う人々は迫害の対象でした。エルサレムから避難した信徒も少なくありませんでした。エルサレムに留まった信徒たちは、十字架にかけられたイエスが神であるという信仰のゆえに、生活や仕事にも支障が生じたことが想像できます。エルサレム教会の献金だけでは、財政的にとても厳しかったのです。財政難をかかえていたエルサレム教会でしたが、その状況の中でも「貧しい人々をかえりみる支援活動」を継続していたことが、パウロが書いた他の手紙で読み取れます。ガラテヤ書2:10には、エルサレム教会とのやり取りが記録されていますが、こうあります、「貧しい人々をかえりみるように(エルサレム教会と確認した)とのことであった・・」。財政難という課題に直面しながらも、イエスさまから受け継いだ志は持ち続けたのです。
    パウロが呼びかけた献金は、現代では「協力伝道献金」と呼べるものでしょう。複数の教会が力を合わせて、伝道のために用いられることを目的とする献金です。また、日本バプテスト連盟には「地域協働プロジェクト」という制度があり、これも複数の教会が力を合わせる試みです。ただし、この「地域協働プロジェクト」の資金の底がつくのは時間の問題であると言わざるをえません。協力伝道献金も年々減少しています。それだけ、多くの教会の財政力が弱っているのです。このような状況の中、平塚教会が、従来の資金に頼らないプロジェクト案を提示し、その説明会に先日参加しました。                                                           
    平塚教会は15年前から、炊き出しをするなど、様々な“生きづらさ”と出会わされる活動を続けてきました。最近では子ども食堂を始め、毎回150食が完売するほどの活動になっているそうです。ただし、教会設備は古く、気持ちよく活動ができるとは言えないようです(例えば、台所に換気扇がなかったり、シンクは一つしかなかったり、150食を家庭用コンロで作っている状況です)。このような状況であるのですが、大規模な修繕のための資金はありません。それで、平塚教会は、土地の一部を売却し、その資金で、教会を、宣教のために使いやすくする計画を立てています。土地は連盟所有となっていますので、連盟総会での賛同が必要となります。私はこの報告を聴きながら、イエスさまの生きざまを受け継ぐエルサレム教会の志が平塚教会の姿から浮かび上がってくるように思わされました。必ずしも、献金という形でなくても、平塚教会の取り組みに協働・賛同していきたいと思っています。         

 (西本詩生)

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(説教:石橋大輔牧師)。

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。


2023年月8祈祷会


2023年2月8日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会

 

本日の聖書箇所:ルカによる福音書10:1~24 (口語訳:新約104頁)

 

イエスさまは72人の弟子たちをペアにして遣わしました。一人ではなく二人ペアで送られたことの中には、彼らに託された働きは“誰かの手柄”のためではなく、ただ“神さまの栄光”が表されるためであるということが含まれていたのではないでしょうか。そして、彼らを遣わすに際して、イエスさまは彼らに言われました。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。でも、今まさに遣わされようとしている弟子たちこそが「収穫のための働き人」ではないのでしょうか?その彼らに向かって「働き人を送り出すようにしてもらいなさい」と語っているということは、彼らの派遣される先にこそ、「収穫のための働き人」が待っているということでしょうか・・・。

更にイエスさまはこうも言われました「財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな」と。何ももたず裸足でいる姿は、極限的に貧しい人々の姿に重なります。襲われても、何も取られる物もない・・・襲う方が襲おうとも思わないような姿で彼らは遣わされたのです。彼ら自身はそれほどに何ももたない者であることを自覚することを促され、また、まずは無事にたどり着くことが優先されたということでしょうか。

しかし、弟子たちはそのような姿で、どうやって派遣された場所で食いつなぐことができたのでしょう。イエスさまは、彼らにこうも言われています。「それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい」と。何ももたない弟子たちは、派遣された先でもてなしを受け、生活を支えてもらうことを前提に遣わされたのです。たしかに弟子たちは人々の病の癒しも行いましたが、それは一方的な行為ではなく、彼らもまた人々によって支えられることで、相互の関係性の中でそれは行われたということです。

ところが、派遣された弟子たちは喜びながら、イエスさまのもとに帰ってきました。それは、悪霊を自分たちの言うとおりに服従させることができたからでした。つまり、彼らはまさに“自分たちの手柄”を喜んでいたのです。それに対してイエスさまは「霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」と語られるのです。そして、イエスさまは更に弟子たちに言いました。「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」と。どんな権力や知識をもっても、見ることも聞くこともできないことを、彼らは見聞きしてきたのだというのです。

それは、まさに彼らが遣わされた先で、人々との相互の関係性の中で見聞きさせられたことを指しているでしょう。「どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」と。病の癒しと神の国の到来を告げることとは、いつもセットで、イエスさまが弟子たちに託された働きでした。何ももたないで出かけた弟子たちは、それぞれの町で、その社会において弱く小さな立場にされていた人々との出会いの中にこそ神さまの御業を目の当たりにさせられていったのです。そして、それこそがイエスさまから託された宣教の働きだったのです。そして、イエスさまはこの後、あの“善きサマリヤ人のたとえ”を話されるのです。                 

(石橋大輔)

 

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(説教:西本詩生牧師)。

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]のため。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。

 

 


2023年月1祈祷会


2023年2月1日(水)札幌バプテスト教会 祈祷会

 

本日の聖書箇所:ルカによる福音書16:13 (口語訳:新約117頁)

 

 戦前、日本の教会の伝道の手法で、「太鼓をたたきながら、歌を歌って町を練り歩く」という方法があったそうです。そして、そこで歌われるレパートリーの中にこのような歌がありました。「初めは人が酒を飲み、中頃酒が酒を飲み、終わりは酒が人を飲む」。この歌は子どもたちに大変人気で、近くにいる子どもたちが大声を出しながら歌に加わった・・と、ある教会の交わりで聞いたことがあります。楽しい光景を想像しますが、この歌には大切な問いかけがあります。「酒を飲む」ことは娯楽であり、人の生活を豊かにし得るものです。食事を美味しくし、交わりを楽しくさせることもあります。けれども、人が酒を飲むのではなく、酒が人を飲み込んでいないだろうか・・酒が人々の生活を壊していないだろうか・・ということが問われています。この歌は「酒を飲む」事に注目していますが、他の事と置き換えることができるでしょう。例えば、「富は人の生活を豊かにする」・・でも、「富の追求が人々の生活を壊していないだろうか?」というものです。そして、この問いかけは今日の箇所からも聞こえてくるように思うのです。

 今日の箇所の「富」という単語は原文のギリシャ語で「マモン」という言葉です。13節の前後を見ると、金銭を指している言葉ですが、元来の意味では単純に「頼りになるもの」という意味でした。ですので、ここで言う「富」とは、私たちの生活を支え、豊かにする諸々のもの・・金銭、健康、家族、横のつながり、住居、国家、学歴、や経歴なども含まれるでしょう。「神と富とに仕えることはできない」という教えはすでに厳しい響きがあると思いますが、より広い意味でのマモンとして読むと、厳しさが増して響いてきます。イエスさまは、私たちが頼りにするもの・・健康や家族でさえ否定したかったのでしょうか?

 今日はルカによる福音書から読んでいますが、この13節と同じ言葉がマタイによる福音書6章24節に出てきます。そこでは、「神と富」のお話の流れで33節に「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」とあります。順序が問題とされています。まず、神さまとの健全な関係を求めなさいということです。

 「まず神の国と神の義とを求めなさい」というみ言葉にちなんで、私が子どもの頃、教会学校で聞いたたとえ話を思い出すことがあります。大きな石ころと、細かい砂が、隙間なく入り混じってある瓶に入っています。この姿が健全な状態だとしましょう。その中身を出し、まず砂から入れると、大きな石ころは半分も収めることができません。でも、大きな石をまず入れ、その次に、細かい砂を入れていくと、全て瓶に収まるのです。大きな石をまず入れること・・まず、神さまとの健全な関係を求めることで、私たちの健全な状態があり得るのです。

 イエスさまは、私たちの生活を豊かにする、金銭、家族、住居、や学歴などを否定したのではないと思います。けれども、神さまとの健全な関係においてのみ、それら「頼りになるもの」が本当の豊さをもたらすのだと言わんとしているのでしょう。金銭や健康などなど・・それらは、私たちと私たちの周りの人々を豊かにし得るものですが、それらの追求が、被害を及ぼすことがあるのではないでしょうか。瓶が砂でいっぱいであれば、大きな石ころは収められません。同じように、私たちが頼りになるもの(マモン)でいっぱいであれば、唯一善い導きを与えてくださる神さまが入る余地がありません。そういう意味で「神と富とに仕えることはできない」のです。                                      

 

(西本詩生)

 

≪祈りのリクエスト≫

①教会の伝道の働き・教会財政のために。

②バプテスマ・入会準備中の方々。

③入院/療養中/高齢で来られない方々。

④誕生日・バプテスマを迎えた方々。

⑤主日礼拝(説教:渡辺牧人牧師)。

⑥「聖書を学び合う会」の活動のため。

⑦ひかり幼稚園の働きのため。

⑧弁当分かち合いプロジェクト(毎週金曜)。

⑨各神学校と神学生のため。

⑩道内(無牧師の苫小牧)ハワイ・オリベット教会[姉妹教会]。

⑪日本と世界の平和のため(ウクライナとロシア、香港、ミャンマー)。被災地のため。

⑫困窮した生活を送っている人たち、孤独や苦しみの中に置かれている人たちのため。