『 後ろを向いて・・・    
    またさらに後ろを向いて 』

ヨハネによる福音書16:22

ヨハネによる福音書20:11~18

2024年3月31日(日)

 

子どもメッセージ

 先週は「しばてん」という絵本を一緒に読み、イエスさまが十字架にかけられたことに想いを寄せました。決して明るいお話ではありませんでしたが、イエスさまがみんなのために十字架にかかるほど、お一人お一人のことを愛しぬいたことがお話の内容でした。そして今日は、十字架で亡くなったイエスさまがよみがえったことのお話です。今日はイースター礼拝ですが、イエスさまがみんなのためによみがえったことを覚える礼拝です。

僕は今日の聖書を読み、非常に困ってしまいました。どうしても腑に落ちない部分があったからです。今日のお話を読み進めていくと「あれ?」と思ってしまう部分があるのです。それは後々紹介しますので、今日のお話に入りたいと思います。

 イエスさまが十字架で亡くなってから、2日目の朝のことです。マグダラ村出身のマリヤさんという人が、イエスさまのお墓の前でポロポロ涙を流していました。当時遺体は洞窟のような洞穴に葬られ、それがお墓でした。今日の聖書のお話は非常に細かく物事が説明されていることが特徴です。わざわざ、マリヤさんが立って泣いていたことが紹介されています。マリヤさんは、イエスさまに出会ったことで、病気が治り、毎日の嬉しさを取り戻すことができました(ルカ8:2、マルコ16:9)。マリヤさんにとってイエスさまは命の恩人でした。大好きなイエスさまが、十字架で処刑された事だけでもとても悲しかったはずです。心はボロボロで、頭はぐちゃぐちゃでした。でも、イエスさまが苦しみながら亡くなったことに加えて、お墓にあるはずのイエスさまの遺体がないことが分かったのです。追い打ちをかけられるような知らせでした。マリヤさんは、空の墓を見つめて泣き続けました。

【S②】マリヤさんは墓の入口に近づいて「泣きながら、体をかがめて墓の中をのぞいた」と聖書は言います。今まで僕は、イエスさまのお墓の出入り口は、大柄な人が簡単に出入りできるものだと勝手に思い込んでいましたが、案外小さいことが分かりました。マリヤさんは、体をかがめないとお墓の中を覗けないのですから。もうすでに言いましたが、今日の場面では物事が細かく描かれています。特にマリヤさんがどう動いたかが事細かく説明されているのです。

 墓の中を覗くと、「白い服を着たふたりの天使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。」とあります。やはり、あるはずのイエスさまの死体がないのです。マリヤさんは非常に困惑しました。もはや、天使たちがお墓の中にいることにびっくりできないほど、心が真っ二つに折れてしまっていたと思います。天使たちは、泣き続けるマリヤさんのことを気遣い、「女よ、なぜ泣いているのか」と問いかけてきました。そして、マリヤさんは答えました「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです。」と。この時、マリヤさんは誰かが背後にいることに気づきました。お墓に背を向けるように向きを変えると、目の前にイエスさまが立っていたのです。しかしながら、マリヤさんはその人が「イエスであることに気がつきませんでした」。僕がマリヤさんであったら、同じように、目の前にいるのがイエスさまだとは気づかなかったと思います。落ち着いて考えれば、イエスさまと一緒にいた時に、ご自身がよみがえることについてお話していたことを思い出せたかもしれません。けれども、何もかも分からない中で、悲しみ続けていたマリヤさんはイエスさまがよみがえることは全く想定できなかったのです。マリヤさんはこの時点でも泣き続けていました。そのため、イエスさまは天使たちと全く同じことを語りかけてきました。「女よ、なぜ泣いているのか。」と。そして、加えてこのように問いかけてきました、「だれを捜しているのか」と。マリヤさんは、目の前にいる人がお墓の手入れをする園丁さんだと思い込み、もしかしたら、イエスさまの遺体について何か情報を持っているかもしれないと考え、必死に訴えかけました、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります。」と。イエスはこれに応えず、「マリヤよ」と語りかけました。イエスさまが生きていた時、日頃から耳にしていた「マリヤよ」を聞いた瞬間、目の前におられるのがイエスさまであることに気づいたのでした。

 今日のお話の最初で、どうしても腑に落ちないところがあると言いました。「マリヤよ」と呼びかけられ、目の前におられるのがイエスさまであることにハッとさせられ、そのすぐ後のところが、僕にとって謎なのです。正直・・・マリヤさんの動きが、おかしいのです。聖書をそのまま読み上げます。「イエスは彼女に『マリヤよ』と言われた。」この時点で、マリヤさんは、お墓に背を向け、イエスさまと向き合っていました。けれどもこの直後に、聖書はこういうのです。「マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で『ラボニ』と言った。それは、先生という意味である。」。すでにイエスさまと向き合っているマリヤさんがなぜ、「ふり返って、イエスにむかって『ラボニ』」と言えるのでしょうか。フィギュアスケート選手のように、360度スピンをしたのでしょうか。そうであったら、聖書はそう言うはずです。今日の場面は、登場する人たちの位置や動きについて事細かく描かれていますので、そのような重要な説明が欠けているとは考えられません。何かがおかしいのです。1回目に向きを変えた時には、お墓に背を向け、後ろにいたイエスさまの方に向きを変えました。そして文字通りに読めば、2回目に向きを変えた時には、マリヤさんはイエスさまに背を向け、墓の方に向いたのです。問題は、マリヤさんがお墓を向きながら、同時に「イエスに向かって『ラボニ』」と言えないことです。

 調べてみると「向かって」という言葉は本来ない言葉だということです。ですので、マリヤさんは、イエスさまに背を向けながら「イエスに『ラボニ』と言った」ことになります。今映し出されているイラストの向きで、イエスさまを背にしながら「先生」と呼んだのです。そうだとしても、すっきりしないと思ってもおかしくありません。目の前に大好きなイエスさまがおられることに気づいたのに、なぜ背を向けるのだろうかと思ってしまうわけです。

 これらの疑問は少し横に置いて、読み進めたいと思います。後ろにイエスさまがおられることを知った上で、マリヤさんはお墓の方を見つめました。でも、もう涙は出ていません。心は嬉しさでいっぱいです。1回目に墓を見つめた時と、2回目に墓を見つめた時とで、全く違うようにお墓の風景が目に写っていたと思います。

 当初、マリヤは「死」や「終り」を思わせる墓を見つめ、泣き続けていました。そして次に、寄り添ってきたイエスさまと向き合い、それがイエスさまだと気づかされ、再び墓の方を見つめました。マリヤさんはここで「よみがえり」の嬉しさを体験したのだと思います。つまり・・・物事は悲しみや絶望で終わらず、それに続く深い喜びが与えられることを知ったのです。つい下向きになってしまう事があったとしても、すぐ後ろにおられるイエスさまと一緒にその出来事と向き合っていることを教えられたのです。背後のイエスさまにしっかり見守られていることを経験したのです。涙を流していたなかでも、「神さまと一緒だから大丈夫」ということが分かったのです。

このように考えると、マリヤさんは、イエスさまに勇気づけられて、墓の方を向いたのです。墓の方を向く意味があり、イエスさまに背を向けなくてはいけなかったのです。

 そして、これはマリヤさんだけに与えられた出来事ではありません。なぜならイエスさまはみんなのために、よみがえられたのですから。物事を悲しみで終わらせず、その次を与えてくださるのです。私たちは目の前の出来事に翻弄し、立ち竦んでしまうのかもしれません。けれども、そのような私たちにイエスさまは近寄り、痛みをくみ取り、名前で呼んでくださるのです。「マリヤよ。大丈夫だ。私がおられるのではないか。」と。そして、勇気づけられて、日常へ押し出されていくのです。

 今日はイースター、イエスさまがよみがえったことを喜ぶ礼拝ですが、実は言うと、毎週の礼拝はイエスさまがよみがえったことを覚える礼拝です。そのために毎週集められています。日常に背を向けて、ここでイエスさまと出会い、そして今度はイエスさまに背中を押されて日常に旅だつのです。同じ風景でも、全く違うように見えます。なぜなら、神さまと一緒だからです。イエスさまが背後におられるからです。これが、礼拝なのではないかと思うのです。

 

 「乳離れ」

 今日このお話を準備する中で、私がどうしても引っかかってしまった2回目の振り向きの部分ですが、伝統的には特に問題視されていません。スクリーンに映し出されている1500年代の絵が描くように、2回目の振り向きの際も、マリヤはイエスさまと向かい合ったこととして理解されてきました(コレッジョの絵画『ノリ・メ・タンゲレ』(1525年頃)。プラド美術館所蔵。)。けれども、調べる中で、キリスト教の伝統を重視するカトリック修道院のシスターの文書に巡り合うことができました。シスター速水弥生さんはこう言うのです「2回目にこそ深い意味がある。マリヤにとってイエスに背を向けることは『乳離れ』を意味した。」。乳児が成長して、母乳を飲まなくなることと重ねながら、マリヤがイエスに背を向けたことを読み解いているのです。

 この理解は非常に深い洞察を与えるものであると思うのです。なぜなら、このすぐ後にイエスさまはマリヤにこのように語りかけたからです。「(私に)すがりついてはいけない」と(新共同訳)。マリヤが経験したのは、復活のキリストと出会わされたことですが・・・それに甘んじるだけでなく、そこから派遣されていったのです。イエスさまに背中を押され、今度はイエスさまが見つめている風景を見ていくことになったのです。主イエスが見つめているものを見つめる生き方へと変えられたと言えるでしょう。

 当初、マリヤは自分のことで目一杯でした。自分を見てほしい・・・自分を助けてほしい人として映ったのでしょう。けれども、復活のキリストに気づかされ、向きを変えられ、今度は、この喜びをみんなに分かち合う人になったのです。つまり、マリヤの中で、自分だけのイエスさまがみんなのイエスさまという意識に変えられたのでした。自分だけでなく、人のために生きるようになったのでした。

 今日私たちはここから出かけて行きますが、何に向かっていくのでしょうか?自分を見てほしい・・・「自分・自分」という世界ではないはずです。喜びも、悲しみも、感動も、痛みも、優しさも人と分かち合う世界に押し出されているのではないでしょうか?絶望の淵・・・死の深淵からよみがえられた主イエスが背後におられるのですから、勇気を持って出かけて行こうではありませんか。

 

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 十字架のもとで 』

イザヤ書53:5~6

ヨハネによる福音書19:17~37

2024年3月24日(日)

 

子どもメッセージ

 今日は「しばてん」という絵本を読みたいと思います(田島 征三「しばてん」偕成社)。登場するのは「しばてん」という妖怪です。絵本では妖怪のことを「ばけもの」と呼んでいます。そしてもう一人、「太郎」という人が登場します。絵本の題は「しばてん」ですが、太郎が主人公です。

 

たろうは、なかない あかんぼうだった、ふんづけても、たにそこへ、けおとしても、けろりと している。 おやなし子と いわれても、すて子と からかわれても、けっして なかない 子どもだった。 その たろうが、うまの とめきちを みたとたん、 ぎゃっと ないた。 たろうの しりっぺたには、おまけに、ひづめの かたちの あざが あったので、「こいつは、しばてんの うまれかわりや ないやろうか。」 だれかが こっそり、そう いった。 

たろうは にんげんの 子だから、ばけものの しばてんでは ない。

しばてんは ばけものだから、にんげんの 子の たろうでは ない。

 

その しばてんは、すもうが すきで、まいばん 村の みちに あらわれては、「おんちゃん、すも とろ。」と いって、ひゃくしょうを なげとばす。

なげとばされた ものは、その あしたから 足 こしが たたなくなって、ひと月も のらに でられない。

 

そこで、村じゅう よりあって、「しばてんを やっつける、なんぞ よい ては ないかのう。」と そうだん ぶって、「しばてんの かまえちょりそうな よみちに、あばれうまの とめきちを はなして みるかよ。」と きめた。

その よるも、しばてんは、どての 下に しゃがんで、すもうの あいてを まっていた。「こんやは、ちかごろ おもいついた すくいなげの うまい てを ためしてみちゃろ。」と じりじりしていたもんだから、くらやみを とんできたのが とめきちだとは、きづく はずが ない。「おんちゃん、すも とろ。」と とびかかっていった とたん・・・

 

この しまつ。 しばてんは とおく とおく、やみの かなたへ きえた。そのあと、よみちで しばてんに であったものは いない。 村の はずれに、あかんぼうの たろうが すててあったのは、この できごとの すぐ あとの ことである。

 

たろうは 村人たちに そだてられ、すもうばかり つよい がきたいしょうに なった。

 

あるとしの 秋まつり、かちぬきずもうの どひょうへ、はじめて たろうが のぼった。「こりゃ ちび、でべそ ひきぬかれんうちに おりて きぃ。」 ところが、たろうの つよいこと。 つぎつぎと 村じゅうの わかいしゅうを なげとばしてしまった。

 

それが、その あしたに なると、たろうと すもうを とった ものは みな、足 こしが たたなくなって、のらに でられない。 「たろうは しばてんの うまれかわりじゃ。」ひそひそごえが だんだん 大きくなって、「みなで こめつぶ だしおおて そだててきたけんど、 こんな きみわるい ばけものは 村にゃ おけん。」と、きっぱりと ちょうじゅさまが いうと、みな ぼうぎれ もって、さわぎだした。

たろうは、むらから おいたてられ おいたてられ、えぼし山に おいあげられてしまった。

 

月日は ながれた。たろうは 木の み、くさの ねを かじって、それでも なんとか いきていた。 けれども あるとき、にんげんに あいたくなった。

 

ことしは、日でりつづきだった。 たろうがこっそり 山から おりて きてみると、田んぼは かれ、村には たべものが なかった。 村人たちは 木の み、くさの ねを うばいあって いきていた。

 

ところが どうた。 ちょうじゅさまの やしきを のぞいてみれば、こめも やさいも ありあまる。 ほねだけみたいな 子どもが いった。「はらが ひついて、 しにそうじゃ。」 ははおやが いった。「ややこを たすけとうせ。 おちちが でんきに。」 びょうにんと としよりが いった。「おかゆでも ええきに。」 ところが どうだ。 ちょうじゅさまは、 ひえ ひとつぶも くれやしない。

 

そこで 村じゅう よりあって、そうだん ぶって「このままじゃと、としより、がきらは しんでしまうぜよ。」 「くらを うちこわそう。」と まとまった。 やせた 手には、くわを もった。 くぼんだ 目だまは、ぎろぎろ ひかった。 だが、はらを へらした ひゃくしょうたちは、くらに いきつくまえに へたばってしまった。 そこへ、ちょうじゃの くらの ばんにんどもが、どっと おそいかかってきた。

 

とつぜん、ひゃくしょうの 中から、たろうが とびだした。 「しばてんが たすけに きたぜよ。」と さけんで、たろうは、ばんにんどもを なげとばした。 「しばてんが でたあ。」ばんにんどもは きみわるがって にげまわる。 ひゃくしょうたちは、よろこんで、「しばてんが きたぞう。」と ゆうきづいた。 だが、ちょうじゃさまだけは、「こわがるなちゃ。 こいつは たろうじゃ。」と さけんで、とびかかってきた。 たろうは、 ちょうじゃさまを そらの かなたへ なげとばした。

 

はこびだした こめだわらは、みんなで わけあった。 だれも かれも、はらいっぱい たべられるように なって、 たのしい 日びが、また 村に かえってきた。 たろうは、村人たちに ひきとめられて、また 村に すむことに なった。

 

しばらくたって、やくにんが 村へ きて、「ちょうじゃの くらの こめだわらを ぬすんだ やつは、だれだ。」と よばわった。 ひゃくしょうたちは、だまっていた。

「ちょうじゃの こめを くった やつは、だれだ。」やくにんが、また どなった。

みなは、ふるえながら かんがえたのは、しばてんの ことだ。

あいつは ばけものだから、やすやすと なわを ぬけられるだろう。うちくびに なっても、にいっと わらって、いきかえるに ちがいない、と 村人たちは おもった。

「しばてんです。」 「しばてんが ぜんぶ やりました。」と、くちぐちに こたえた。

 

たろうは、やくにんに ひきたてられていって、そのまま かえってこなかった。

秋まつりが くるたびに、村人たちは、いなくなった たろうの ことを おもいだす。 じぶんたちの こころに、いつからか すんでいる しばてんの ことを おもいながら。

 

 決して美しいカワイイ絵が描かれた作品ではないと思います。内容は軽いものではありません。けれども、読めば読むほど、引かれる何か・・・生きるためのヒントとなる何かがこの絵本に込められているように思えてなりません。

 村人たちが、太朗を役人に引き渡したとき、どういう気持ちだったのでしょうね。そして、時間が経ってから、太朗のことを思い出した時、どういう気持ちになったんでしょう。

 この絵本を読むとき、僕が村人であったらどうだったんだろうと考えることがあります。そして、その村人たちを観ると、自分の弱さ・・・僕の中にある「人間のずるさ」というものがよく見えるような気がします。都合のいい時には相手を受け入れ、都合が悪くなると突き放す・・・身勝手さ。立場の強い人の一言で、自分の思いを曲げてしまう・・・弱さ。本当は自分にも責任があるのに、だまって知らん顔をする・・・ずるさ。太朗を引き渡したその日、「よーし、ずるいことをするぞ」という思いで、一日を始めた村人は誰一人いなかったはずです。でも一日が終わった時には、みんなを助けてくれた太朗・・・みんなをお腹いっぱいにしてくれた太郎を、「ばけもの」扱いし、突き放したのです。そして、太朗はそのまま、帰ってこなかったのです。

 世界中の教会で「受難週」と呼ばれる一週間を今日から過ごします。イエスさまが十字架に向かわれた時に・・・そして十字架にかけられた時に、どれだけの苦しみを受けたのか・・・このことを思い巡らす一週間です。十字架は美しいものではありません。イエスさまがそこで生命の終わりを迎えたのですから、十字架のお話は明るい軽いお話ではないと思います。けれども、そこに思いを寄せる度に、引かれる大事なものが見えてくると思うのです。

 十字架の周りにいた人たち、そして、イエスさまが十字架にたどり着くまでにいた周りの人たちの姿には、人のずるさや、弱さが映し出されているように思えるのです。僕のずるさ、身勝手さと重なるように映し出されているように思えるのです。

 人のずるさや身勝手さは・・・一言二言では言い表せないものを生み出してしまいます。先ほどの絵本のことで言うと、最後に連れてかれた太郎の心の傷はどれほどのものであったのかを考えるわけです。村人たちは、自分たちがしたことのうしろめたさという心のしこりを、一生ぬぐえなかったかもしれません。それに加えて、役人たちのずるさに振り回される苦労はいつもつきものでした。

 イエスさまは十字架にかかり、人の身勝手さのゆえに生まれてしまう痛みと傷を全部背負ったのです。一切背負わなくてもよかったのですが、率先して背負ったのです。私たちには負えきれないと分かっていたので、私の分も、あなたの分も背負ったのです。それほどまで、一人ひとりのことが大事で、大切なのです。このようにして、イエスさまは十字架で愛を「成し遂げられた」と聖書は言います。人のずるさや愚かさはイエスさまの愛を止めることはできませんでした。神さまの愛が罪に勝ったのです。

 私たちは罪につまずいてしまう時があるのでしょう。自分の愚かさのゆえに立ちすくんだり、人の身勝手さに振り回され、何もかもあきらめたくなることがあります。事が大きすぎて複雑すぎて、「しょうがないのかな」と流してしまうことがあるように思うのです。だからこそ、私たちは十字架のもとに集められるのでしょう。今日も私たちは、この礼拝で、イエスさまの十字架のもとに集められました。そして、十字架のイエスさまは私たちに語りかけてくださいます。「あなたが負っているその痛み・・・あなたが引きづっているその記憶・・・それは私の痛みであり、私の記憶なのです。もう独りで脅えなくていい。私と一緒に立ち上がってみないか。愛することをあきらめないで、次の一歩を踏み出してみないか。神さまがあなたを愛することをあきらめないのだから、次の愛の一歩を踏み出そう。もうすでに、愛は成し遂げられたのだ。」。このみ言葉があるから、私たちは十字架のもとにたえず集められ、ここから「愛することを諦めない」日々に押し出されていくのです。

 

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 あなたは? 』

ヨハネによる福音書8:32

ヨハネによる福音書18:28~38

2024年3月17日(日)

 

子どもメッセージ

 「僕と結婚してくれないか?僕と人生を共にしないか?」。このような質問をきっかけに人生が大きく変わったという人は少なくないと思います。僕のことで言うと、妻と結婚し、家族として一緒に過ごすようになり、僕の人生は大きく変わりました。結婚を真剣に考えるまで、どちらかと言うと自分のことだけを心配すれば大丈夫だと思っていましたが、今度は家族のことも自分のことになり、その意味で人生がより広く豊かになったと思います。

「僕と結婚してくれないか?僕と人生を共にしないか?」。このような質問は、人生を大きく左右する質問だと言えるでしょう。そこからの日々が、それまでの日々と全く違うわけです。人生を変える問いかけは、結婚に関わる質問だけではありません。この時期になると、多くの大学、学校、幼稚園で卒業式や卒園式が開かれています。こういう時期になると、このような質問をされた人も大勢いると思います。「次はうちの学校・大学で学んでみないか?うちの会社で働かないか?」。これらの質問も人生を大きく左右することだと思います。

僕は約4年前に、福岡の西南学院大学で学んでいました。ある日、授業の直前に、見慣れない電話番号から着信がありました。電話を取ると、全く耳にしたことがない声がこう言ってきたのです「札幌バプテスト教会の牧師、石橋と言います。西本さんですか?」。結局その電話で聞かれたのは「札幌教会で研修してみないか?」ということでした。そして研修を経て、数か月が経ったときに今度は「札幌教会の牧師として一緒に働かないか?」という問いかけを教会から受けたのです。人生を大きく変化させた問いかけです。そして、その質問があってよかったなぁと思わせれているのです。

このような場面もあるかもしれません。自分の落ち度で、家族や友人が傷ついてしまった場合・・・何とか仲直りに向かえないかと考え「許してくれないか?とことん頑張るから。仲直りの努力を一緒にしてくれないか?」と謝りながらお願いすることがあるかもしれません。実際このような質問をきっかけに、今まで以上に深い絆を築け、あの質問があってよかったというお話を耳にしたことがあります。仲直りをするために神さまが助けてくださったという証しを聞いたことがあります。

今日の聖書では、イエスさまが裁判にかけられている場面です。イエスさまは前日の夜に逮捕され、朝になるまで質問詰めにされ、既にイエスさまは相当疲れていたと思います。今日の場面でイエスさまを取り調べているのは、大勢の兵隊を部下に持つピラトという人でした。ピラトはローマ帝国のお偉いさんでした。エルサレムとその周辺で一番偉い人でした。

通常裁判が開かれる時、ある程度固まった役割が設けられています。質問をするのは取り調べをする人で、質問に答えるのが逮捕された人です。兵隊さんたちは警備を任されていました。イエスさまの裁判の場面を読み始めると、普通の裁判とさほど違いはありません。イエスさまはピラトの前に立たされ、ピラトは問いかけました「おまえは、ユダヤ人の王なのか?」と。しかし、イエスさまはこの質問にそのまま「はい・いいえ」と答えませんでした。ピラトの質問に対して、質問で返したのです。役割が逆転したのです。逮捕されたイエスさまが、取り調べをするピラトに問いかけたのです。ある意味で、イエスさまが裁判にかけられているのか、ピラトが裁判にかけられているのか、分からなくなるような場面です。そして、イエスさまが投げかけた質問は、ピラトの人生を大きく変えることができた問いかけだったと思います。ピラトがその質問に真剣に答えようとしたのであれば、ピラトの人生は大きく変わったと思います。その質問と向き合おうとしたのであれば、ピラトはもっと自由になったはずです。

ピラトはイエスさまに問いかけました。「おまえは、ユダヤ人の王なのか?」と。そして、イエスさまはピラトに返しました「あなたがそう言うのは、自分の考えからか?それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか?」。

イエスさまが投げかけたこの質問はピラトの人生を大きく変えることができただろうと言いました。なぜそう思うかというと、イエスさまの質問の中に、真理が含まれていると思うからです。「真理」とは本当のこと、大事なことを教えてくれるものです。真理は、ピラトの人生を変えることができました。そして、私たちの人生も変えることができます。その真理とはこういうものです。他の人から耳にすることだけで、イエスさまとの関係が形作られるのであれば、本当の意味での変化は起こらないだろうということです。でも逆に、イエスさまと直接関係を深めていくのであれば、人生は豊かに変えられていくだろうということです。イエスさまの問いかけは、このように言い変えることができると思います。「他の人は私(イエス)が王であるとか、救い主であると言っているかもしれない。でも、あなたはどう思うのか?」とイエスさまはピラトに問いかけ、私たちにも問いかけているのです。

結婚生活に至る話、入学や就職に至る話、関係が悪くなったところ仲直りするために努力を重ねる話・・・それらの体験談を他の人から聞くのはとても興味深いことであり、いろいろ教えられます。貴重なお話です。でも、他の人からそれらのことについて聞くのと、実際そのような経験をするのとはまったく事が違います。同じように、イエスさまのお話を他の人から聞いて、いろいろと教えられ、それはそれでとてもためになることだと思います。けれども、イエスさまはそこにとどまりません。さらに問いかけてくるのです、「確かにあの人はそう言ってるけど、あなたはどう思うのですか?」と。「あなたにとって、私(イエス)は何者なんだろう?」と。

先月末、室蘭教会で北海道の教会の青少年たちが集まりました。本当は僕もそこに一緒に行くはずでしたが、同じ日に、教会の他の行事が入ったため、行けませんでした。行けなかったのは本当に残念でした。というのも、そこに集った青少年たちは自分たちでオリジナルの讃美歌を作ったのです。僕は、讃美歌を作ったことがありませんので、「いい経験になるだろうなぁ」とウキウキしながら過ごしていました。またの機会に期対したいです。なぜこのことを取りあげるかというと、讃美歌を作るということは、イエスさまの問いかけに向き合うことであると思うからです。「私にとってイエスさまは○○だ」・・・その言葉を紡いでいく作業は讃美歌作りに欠かせないのです。

出来上がった讃美歌の録音がありますので、ここで一緒に聴きたいと思います。

 

みんな一緒にいる時は 楽しい事もあるけれど

寂しさがこみあげて 不安なこともある

人に合わせてみるけれど なんだか無理しているみたい

だけど顔をあげれば そこに何か見える

やさしい光が包む わたしの心照らされ

十字架のイエスさまを見つめて ひとりじゃない 共に歩いてゆこう

握りしめている私を 開いてありのままで委ねよう

握りしめている私を イエスさまのためにささげよう

握りしめている私を 開いてありのままで委ねよう

握りしめている私を イエスさまのためにささげよう

イエスさまのためにささげよう イエスさまのためにささげよう

 

室蘭から札幌に帰って来る間、車の中でずっとこれを歌っていたそうです。今月末に開かれる「春の修養会」のテーマ曲です。春の修養会でも、イエスさまの問いかけに向き合うことになるでしょう。「あなたにとって、私(イエス)は何者なんだろう?」という問いかけです。楽しみにしています。

 

 ピラトが意味する王国と、イエスが意味する王国

ピラトは生粋の政治指導者でした。ですので、彼はイエスさまを政治的な目的で取り調べました。イエスが地上の権力を得ようとしているのかどうか、そしてさらに、自分の政治的地位を固めるために利用できないかどうか・・・そのために取り調べました。今日の場面の後半で、イエスさまはピラトの質問「あなたはユダヤ人の王なのか?」という質問に答えました。イエスさまは王であると答えるのですが、ピラトが思い描くような王ではありませんでした。イエスさまの王国・・・神の国は地理的な領土を持ちません。軍隊もありません。神の国は、私たちが知る国や領土とは全く異なりますが、もうすでに目の前に広がっているのです。神さまの真理に耳と心を開き、神さまの真理を行動に移す時・・・周りの人と築いていく関係が、神さまの真理に根付いたものである時、主なる神が支配されていることが明らかになるのです。

 

 イエスさまの問いかけ

ピラトがイエスに「おまえは王なのか?」と問いかけました。この質問は、他の人から聞いた内容に基づいたものでした。もしピラトがイエスさまを本気で取り調べ、そこで明らかにされる真理に耳を傾けていたら、彼の人生は変わっていたことでしょう。いかにイエスが人々の痛みに寄り添い、人々に生きる希望を与えたことを知ることになっていたら・・・イエスさまの真理が自分を捉えることを許したのであれば、目の前に立つイエスが確かに王であることに気づいたことでしょう。

私たちが許すのであれば、イエスさまは、私たちを生かす真理を明らかにしてくださいます。イエスさまは私たちのために十字架にかかり、極限まで愛を貫きました。私たちのために愛を注いだのです・・・この真理が人生を変えるのです。他の人から聞いた話としてではなく、この私のために愛が注がれた・・・この真理を受け入れるのであれば、人生は変わります。 

別の角度から考えると、こう言えるでしょう。イエスさまの問いかけに、私たちは耳を傾けているのでしょうか?2000年間のキリスト教の経験を顧みると、イエスさまは私たちにたえず問いかけてきます。「私と人生を共にしないか?仕える人生を歩んでみないか?分け与える人生を進んでみないか?私の赦しに頼ってみないか?罪を告白してみないか?御言葉に従ってみないか?」という問いかけです。これら問いかけは、私たちの人生に変化をもたらすのです。それら問いかけに答えようとする時、イエスさまはこうも言うでしょう「ハラハラドキドキもあるけど、深い喜びが必ずある・・・真理はあなたを自由にする」と。

王の王、主の主、救い主イエスさまの問いかけに、私たちはどう答えるでしょうか。

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 悩みのあるこの世界で、

互いに愛し合うことで共に生きる 』   

ヨハネによる福音書15:12 

ヨハネによる福音書16:29~33

2024年3月10日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 ぼくは、小さなころから「ばあちゃんっ子」でした。先週、Dさんが礼拝で証しをしてくれましたが、その証しの中で、最近ぼくがクメばあちゃんの話をしなくなったと言っていたのを聞いて、「たしかにそうかも」と思いました。それで、久しぶりにクメばあちゃんの話をしようと思います。

 小学3年生の時、ぼくらの家族は、クメばあちゃんが住んでいた家の2階に引っ越しました。同じ家の1階と2階に住んでいたけど、基本的には、ご飯も寝るのも別々でした。だけど、ぼくは何かと理由をつけては、1階のばあちゃんちに居座っていました。ぼくのお母さんは、とっても厳しくて、おやつもなし、ゲームもなし・・・ゲームどころか、テレビもほぼ禁止、夕方5時には絶対家に帰ってないといけなかったし、夜7時には寝かされていました。でも、ばあちゃんちにいれば、たいがいのことはOKでした。だから、ぼくはいつもばあちゃんちに逃げて、おやつを食べながら、テレビを観ていたんです。ただ、確かにおやつを食べさせてもらえたり、テレビを観させてもらえたりするのも、ぼくがばあちゃんが好きな理由ではありましたが、そんなことがなくても、ぼくは、クメばあちゃんと話すのが、とても好きでした。縁側でミシンに向かうクメばあちゃんと、おかきを食べながら、他愛もない話をして、何時間も過ごしたものです。その後、高校を卒業して、大学に通うのに4年間福岡を離れたけど、神学校で勉強するために、また福岡に戻りました。その頃、ちょうど、ぼくの家族がみんな福岡を離れていたので、神学校で勉強していた3年間は、クメばあちゃんと二人暮らしでした。その3年間、クメばあちゃんは、毎日ぼくのご飯を作ってくれました。神学校を卒業する時が近づいてきました。クメばあちゃんは、ぼくがいずれは家を出ていくだろうと思っていたみたいだけど、神学校を卒業したら福岡の教会で牧師になると思い込んでいたみたいで、ぼくが「札幌に行くことになったよ」と話した時には、とても驚いていました。クメばあちゃんは仏教徒だったので、ぼくがクリスチャンになることも、ましてや、牧師になることも、諸手を挙げて賛成してくれていたわけではありませんでした。しかも、赴任することになった教会は、福岡から遠く離れた札幌の教会でした。それでも、クメばあちゃんは、ぼくが進むことにした進路について、絶対に反対はしませんでした。札幌に行くことが決まってから、教会のある人が、クメばあちゃんに「大ちゃんがいなくなって寂しくなるでしょう」と声を掛けた時、クメばあちゃんが烈火のごとく怒りました。「孫の前で、そがんことば言わんでください!この子の後ろ髪ば引きたくなかとです!」って・・・。実は、ぼくは、「ばあちゃんを置いて、家を離れることは、ばあちゃんのことを捨ててしまうことになるんじゃないか」って悩んでいました。でも、そのクメばあちゃんの言葉を聞いて、「ああ、ぼくとクメばあちゃんとの関係は、そんなことで崩れるもんじゃないんだ」って、ホッとしたんです。

 その後、ぼくは札幌に来ることになり、ぼくも一人暮らしになり、クメばあちゃんもまた一人暮らしになりました。そして、それから最初に迎えた正月に、クメばあちゃんは、自分で朝ごはんを作ろうとしていて倒れ、そのまま亡くなりました。ぼくが、札幌に来ることができたのは、クメばあちゃんのおかげだ、と思っています。クメばあちゃんが、ぼくに「住む場所が離れるくらいで、あんたとわたしたちとのつながりが崩れるはずがなかろうが!」って、そう教えてくれたからです。そして、そんなクメばあちゃんの後押しがあったから、ぼくは生まれ育った福岡を離れて、知り合いも友達も家族もいないこの札幌に来て、「ひとり」を経験することができました。「ひとり」を経験できたので、離れた仲間の存在のありがたみも知ったし、「ひとり」だけど「ひとり」ではない、神さまがそこに共にいてくださるのだということを経験することができました。

 ぼくらには仲間が必要です。でも、ぼくらはたった「ひとり」でいることで、しかも悩みを抱えながら過ごすことで、そこに神さまが共にいてくださることを知らされるんです。イエスさまにも、仲間がいました。そして、その仲間である自分の弟子たちのことを、イエスさまはとても大切にされました。大事なことをたくさん語って聞かせました。神さまの愛に生きるということを、弟子たちに身をもって教えました。それでも、そんな弟子たちといよいよお別れをしなければならない時が迫ってきていました。イエスさまを十字架につけて殺そうとしている人たちの足音が近づいてきていたからです。それで、イエスさまは弟子たちに、大切なことをはっきりと話して聞かせました。そして、長い長いお話の最後に、こう言ったんです。「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。イエスさまは、「あなたがたは、この世では悩みがある」って言いました。イエスさまは、ぼくらの抱える悩みや苦しみが、ちっぽけなものだなんて言いませんでした。それでも、これから、どんな敵が襲ってこようとも、どんなに苦しみが降りかかろうとも、「わたしがもう世に勝っているから大丈夫だ」と、イエスさまは弟子たちに宣言したんです。ただ、それを言われたのは、間もなく人々によって十字架で殺されようとしていたイエスさまでした。あんまり説得力がない気がします。イエスさまの言われる“勝ち”というのは、世の力・・・暴力やお金や権力で得られるような“勝ち”ではなかったということです。むしろ、そんなこの世では“強い”とされるようなものを一切手放して、なおそこに残るもの・・・。「そこに神さまが共にいてくれる」という、たった一つの事実だけが、イエスさまをこの世に勝たせたということです。イエスさまは、弟子たちにも捨てられ、同じユダヤ人たちにののしられ、たったひとりで十字架にはりつけにされました。それでも、その十字架のイエスさまと、神さまが共におられるということを覆すことのできるものは、この世には何もありませんでした。絶望と苦しみしかないと思われるその闇の中であっても、神さまはそこに共におられるということを、イエスさまはその十字架によって示されたんです。だから、ぼくらは、たったひとりで、苦しみの中に立たされる時に、神さまが共におられるということを知らされるんです。そして、そのことを知ることで、他の人たちと共に生きることへと向かわされていくんです。諦めてしまわずに、勇気を出して、この世で共に生きる道を進んでいこうと思えるんです。

 

◆ “みんなで助けあいプロジェクト”紹介ムービー

 コロナ禍になり飲食店の閉店が続く中で、若者たちのアルバイトがなくなってしまったというニュースが聞こえてきました。札幌YWCAと日本基督教団北海教区と札幌バプテスト教会の三者で話し合い若者たちに食糧や日用品を無料でお渡しするプロジェクトを立ち上げました。呼びかけに応えて、全国・世界からたくさんの支援物資と募金が届き、当日は300名の来場を想定し、着々と準備を進めました。ところが、フタを開けてみると・・・長蛇の列ができると思った会場前には、時間になっても人っこと一人いませんでした。慌ててチラシを刷り、目立つ格好で、大学の門の前に若者を呼び込みにでかけました。また、会場前でも通りがかる若者たちに来場の呼びかけを行いました。すると、少しずつ若者たちが来始めました。そして、来場した若者たちが、SNS等でどんどん情報をシェアしてくれ、にわかに会場も活気付いていきました。三者共催で始まった「さっぽろ若者応援プロジェクト」は、その後、ラジオ放送局ホレンコや救世軍札幌小隊も共催団体に加わり、2021年に、①06月26日/②07月27日/③09月28日/④11月11日と、4回に亘りプロジェクトを開催し、のべ1000名を超える若者が来場し、プロジェクトを終了しました。4回の活動を通して身につけたノウハウ。外での呼びかけには拡声器も使うようになりましたし、暗くなった夕方の時間でも会場が目立つ工夫もしました。札幌バプテスト教会では、1年間このプロジェクトで身につけたノウハウを活かして、自分たちなりに活動を継続できないかと話し合いました。そして、「みんなで助けあいプロジェクト」と名称を改め、もう一度活動をスタートしたのです。これまで、会場の様子を気にしながら通り過ぎていった“若者”ではない年代の方子連れのお母さんたちにも、みんなに来てほしいと思ったのです。北海道大学南門の目の前にある日本聖公会札幌キリスト教会を会場に、毎年2度プロジェクトを行っています。前プロジェクト時代からお手伝いくださっていたホレンコや真駒内教会・厚別教会のみなさんも、すぐに手伝いにかけつけてくれました。仕入れ先のスーパーやお米屋さんともすっかり親しくなり、プロジェクトに協力してもらっています。活動を進めれば進めるほどに、来場者数は増えていっています。もちろんチラシやSNSでの情報共有の効果もあるのでしょうが、来場者のアンケートによると、通りがかって飛び込みで来場した人たちが大半を占めています。仕事帰りにスーツ姿で来る人も…小さい子どもを何人も連れている親も…留守番している弟の分ももらう中学生も…ハラルフードが必要な外国籍の方々も…弁当分かち合いの活動の常連さんも…みんな色々な状況を抱えながらやってきます。このプロジェクトのために、全国から、世界から寄せられるみなさんのやさしさを、これからも、少しでも多くの人たちと分かち合うことができますように。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。

 

◆ 愛し合い、分かち合うことで、共に生きる道を見出していく

 見ていただいたように、この“みんなで助けあいプロジェクト”は、コロナ禍の真っ暗な状況の中で始められていきました。「だれかのために、何かできないか・・・」というところから始まっていきましたが、今もこの活動を続けているのは、ぼくらがそこに希望を見出しているからです。日々の生活を送るのもやっとという人々が、日に日に増えていくこの社会の中で、この世の“強さ”であるお金も権力も暴力も、自分だけが、その人だけが生き残る手段にしかならず、人と人との分断をより深めていきます。そして、そのような分断は、社会を壊し、地球を壊しています。それでも、そんな悩み多いこの世において、人びとが生き残っていける方法があるとしたら、それは、この世の力によるのでではなく、「互いに愛し合う、仕え合い、分かち合うことだ」と、イエスさまは教えてくださったのです。“みんなで助けあいプロジェクト”も、金曜日の“お弁当分かち合い”の活動も、物資やお弁当を取りに来られる方々を助け、その生活を支えることを目的とするならば、間もなく続けられなくなると思います。それらの活動を通して、その人々を助けることも、その生活を支えることも到底できやしないからです。でも、それらの活動を通して、イエスさまが示された、分かち合い、愛し合うことで共に生き合っていく方法があるのだということ、そしてそこに希望はあるのだということを、活動を通して垣間見させられるからこそ、この教会はこれらの活動を続けているのです。物資やお金をささげる人たちも、物資を受け取りに来る人たちも、そこに希望を見出しておられるからこそ、そこに集われるのだと思うのです。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。確かに、ぼくらには悩みがあります。それは、自分自身にとっては、決して小さなものではありません。「あるけど、何とかなる」なんて言えない悩みであり、苦しみです。イエスさまは、決してぼくらのその悩みや苦しみを軽んじられませんでした。それでもなお、「勇気を出しなさい」と、ぼくらを励まされます。それは、誰よりも深い悩みと苦しみとを、イエスさまご自身が、あの十字架で負われたからです。そして、一人ぼっちのその苦しみの場に、神さまが共におられることを、その身をもってしっかりと経験されたからこそ、それを証し続けておられるのです。

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 神さまのくるま 』

マルコによる福音書1:14~15

伝道の書12:1 前半

2024年3月3日(日)

 

 最近、石橋先生のクメおばあちゃんの話を聞かなくなりました。今日は私のおじいさん(経作じいさん)の話です。教会でお話しするのは三度目になりますからもう十分聞いたよと言われるかなと思っています。

 今年の年賀状に西本詩生先生の奥さんMさんが運転免許証を取得したと書いてありました。免許があれば車を運転してPちゃんや、Rちゃんと遠くの公園にもお出かけできるし、雨の日でもスーパーに行って沢山のお買い物もできるきっと楽しいよね。でも最初は慎重にゆっくり、ゆっくり運転していると思います。

 君たちの中で大きくなったら(18歳になれば)免許を取って車を運転したいと思っている子はどのくらいいますか?手を挙げて教えてください。そうだよね、皆免許持ちたいよね。

 ところで、運転免許お持ちの方はどれくらいおられますか。おおぜいいらっしゃいますね。ちなみに事故も違反もないゴールド免許の方はどれくらいおいでですか?

 私も20歳(はたち)のとき免許を取りました。まず学科試験に合格してから実際に車に乗って試験場のコースを何度も回ってから実技試験です。S字、坂道発進、縦列駐車、車庫入れなどさせられました。当時はマニュアル車でしたから結構難しく大変でした。

 経作おじいさんは薬局を経営していました。注文を受けてクスリを出来るだけ早くお客さんにお届けすることをモットウにしていました。ですから、その頃から従業員の方が自転車やオートバイで配達していました。

 1960年(おじいさん60歳の時)のお正月にお店の皆に「これからは自動車の時代だ。自動車の運転ができないものには従業員の資格はない」と宣言しました。ずいぶん乱暴ですね。今ならパワハラです。でも「まずは自分が免許を取る」と宣言して自動車学校に通い始めました。

なにせおじいさんは体の小さい人でしたからハンドルを握るにはシートに座布団を二つ折りにしてハンドルに捕まる必要がありました。今と違ってボタン一つでシートが上下することがなくアクセル、ブレーキに足をのせるのも大変でした。学科試験は無事に通りましたが、実技は大変です。何度も挑戦しました。S字、坂道発進、車庫入れか必ずどこかで失敗します。でも宣言した以上どうしても免許を取らなければなりません。

 何度目かの試験の時一つ課題をクリアする度に一緒に試験を受けていた若い子たちから拍手が起きました。次の課題をクリアするとまた拍手、スタートラインに戻ったときは大拍手で迎えられました。きっと教習所の先生も大目に見てくれたのではないかと思います。

 免許が届くとさっそく中古のダットサンを買いました。車の屋根にスピーカーを取り付け、車のドアには「神の国は近づけり(マルコ1章15節)」「神は愛なり」とペイントして帯広の街中を走らせていました。しかし車は2速に入れっぱなしで堤防から落ちたり、十勝バスとぶつかったりして市内のタクシーの運転手さんからは「神さまの車には近づくな」との回状が回っていたようです。

 私も免許を取得して50年になります。でもゴールド免許の期間は10年ほどです。追突事故一度、パトカーを追い越した違反が二度もあります。幸いにも事故で他人にけがをさせたことはありません。

 

 教会でバプテスマを受けるのは免許を取得するのに似ているのではないかなと思っています。バプテストリーに牧師と一緒に入り、牧師から「イエス・キリストを救い主と信じますか」と尋ねられます。「ハイ信じます」でドボンと沈められます。でも泳げなくとも大丈夫、牧師が必ず受け止めてくれます。いいえ何より神さまが私たちを受け止めてくれるのです。神さまを信じることが学科試験であればイエス様が自分の罪のために死んで復活されたことは実地試験かなともおもっています。

 

 1995年のイースター礼拝のメッセージはヨハネ20章24節~28章からでした。イエスとトマスのところです。トマスは復活したイエスさまに他の弟子たちが出会ったことを聞いて、自分は「手の傷跡を見、脇腹に手を入れなければ信じない」と言います。それでもイエスさまはトマスに言います。「あなたの指をここに当てて、手を伸ばして脇腹に入れなさい。信じない者にならないで、信じるも者になりなさい」「見ないで信じる者は、さいわいである」と

この説教を聞いてバプテスマの決心をしました。その日なんと4人が手を挙げたのです。凄いですね。そのうちのお一人は大分教会の村田悦牧師、もうお一人はがんの患者さんを親身になってケアしている看護師のIさん、それにうちの奥さんの浩子さんと私です。

 後日、四人そろってバプテスマを受けました。順番は悦さん、Iさん、浩子さんの順番です。最後に私です。「神さま四人目大丈夫ですか?お疲れではありませんか?だって私は泳げないのです。」でも神さまはしっかり受け止めてくださいました。

 今度のイースター礼拝でもきっと牧師から招きがあると思います。ちょっと勇気を出して手を挙げて招きに答えて下さい。

 クリスチャンになったからといってすぐに聖人君子・淑女に生まれ変わるわけではありません。自動車の運転と一緒です。私も最初は車庫入れに手間取ったり、スピード違反しておまわりさんに注意されたりするように、普段の生活の中でも怒って大きな声をだしたり、ケンカをしたり失敗は数え切れません。後になってからいつも反省しています。間違いを起こさない人はいない、間違ったとしても神さまは許してくれます。安心してぜひ一緒にクリスチャンの道を歩きましょう。

 

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12章1節)今があなたにとって若い日です。10代の君も20代のあなたも70歳、80歳あなたも今が若い日です。

 最後まで聞いていただきましてありがとうございます。これで私の証しを終わります。証しのチャンスをいただいた石橋先生、西本先生そして執事会のメンバーに感謝します。そうして何より神さまに感謝です。

ありがとうございました。

 

(教会員・堂前剛志)