『 “これっぽっち”を超えて 』

ヨハネによる福音書6:35

ヨハネによる福音書6:1~15

2024年1月28日(日)

 

子どもメッセージ

 今日のお話では、ある子どもが主役です。その子がいなかったら、今日のお話はなかったかもしれない・・・そのぐらい大役を担ったのでした。その割には、その子の名前は分かりませんし、その子がどの村から来たのか、何歳であったのか、他に兄弟がいたのかどうかについて聖書はまったく教えてくれません。その子についてほとんど何も分からないのです。僕が思うには、聖書はわざとこの子について何も教えてくれていないのです。もしかしたらこの子はあなたかもしれない・・・いや、きっとあなたなんだ・・・そういう意味を込めて名前すら教えてくれていないのでしょう。

 今日のお話ですが・・・イエスさまの目の前に、数千人の人たちがいました。“ただの”数千人ではありませんでした。一人残らずみんな腹ペコだったのです。今日ここに集まったのは、110~120人位でしょうから、ここにおられる100倍150倍の人たちが、みんな腹ペコだったのです。一日中何も食べていない人もいたでしょうから、あちらこちらでお腹からのグルグル、ゴロゴロ、キュルキュルという音が聞こえてきたかもしれません。

みんなはお腹が空くとどうなりますか?気分が最高!・・・という人はいませんよね。機嫌が悪くなったり、おこりっぽくなったり、人によっては無口になったり・・・お腹が空くとあまりいいことはありませんよね。

 イエスさまは弟子たちに言いました、「みんな腹ペコだ。どうするっぺなぁ?」と(ガリラヤ弁で)。ピリポという弟子は答えました。「200日一生懸命働いても、その給与で、みんな食べさせるためのパンを買うことはできません。どうしましょう・・・」と。そしてまた他の弟子、アンデレは、今日の主役であるその子を連れてきてこう答えました「この子はちっちゃいパン5つと乾燥魚2匹を持っています。でも、これっぽっちじゃどうにもならない。どうしましょう・・・」と。

 そもそも、アンデレはなぜこの子がパン5つと魚2匹を持っていたのを知っていたのでしょうか。恐らく弟子たちは、腹ペコの数千人を尋ねて、食べ物を持っていないか聞きまわったのでしょう(マルコ6:38では、弟子たちがパンを探しにいったのが分かります)。

その様子を想像してみてください。みんなが腹ペコであるところ、弟子たちが尋ねてくるのです「すみません、何か食べ物ありませんか?お腹が空いているんです。あなたはどうですか?イエスさまがみんなを食べさせたいと言い張るのです。パン一つでもいいのです。ありませんか?」。みんな機嫌がいいわけではなかったでしょうから、ちょっとピリピリする場面もあったかもしれません。たとえ食べ物を持っていたとしても、それを差し出すには勇気が必要だったのでしょう。はらぺこのみんなの注目が集まるわけですから。食べ物を持っているのがばれたら「あー。あの人は食事を持っているじゃないかぁ。いいなぁ・・」というなんとも気まずい眼差しで見つめられたのでしょう。ですので、弟子たちがイエスさまのところに戻った時に、ほとんど何も見つからなかったことに僕は驚きません。むしろ、ある人・・・今日の主役であるその子が、はらぺこのみんながいる中で、自分の食事をアンデレに差し出したことが、驚くことだと思うのです。

 弟子のアンデレは、その子を連れてイエスさまのところに戻りました。せっかくみつかった食べ物でしたが、残念そうにこう言いました「これっぽっちじゃどうにもならない」。けれども、イエスさまはその子を見て表情が一気に明るくなりました。「さあ、はらぺこのみんなを草の上に座らせなさい」と、弟子たちに指示を出しました。そして、アンデレが連れてきた子どもと目線を合わせて、5つのパンと2匹の魚を受け取るために手を差し伸べました。その子は、みんなと同じように腹ペコだったことでしょう。僕だったら、自分の食事を握りしめたかもしれません。だって、イエスさまに渡したら、自分が食べられかどうか分からないのですから。でもその子は、自分が持っていた食事をイエスさまに渡しました。イエスさまだったら、何とかなるんじゃないかという思いで渡したのです。イエスさまを信じて、持っている“これっぽっち”を渡したのでした。

 イエスさまはパンと魚を受け取って、その子に「ありがとう・・わたしを信じてくれてありがとう。」と言いました(11節の「感謝」はこの子に対しての感謝でもあったと言えるのではないだろうか。その子に感謝せずに、パンと魚を受け取ったとは思えません。)。そして、神さまに感謝して、一人一人に食事を配りはじめたのでした。5つのパンと魚2匹という“これっぽっち”しかなかったはずなのに、数千人がお腹いっぱいになるまで食事を済ましたのでした。家にお留守番していた人たちもいたでしょうから、その人たちの分も取り分けられたことでしょう。そう考えると、数千人分どころか、数万人の食事が配られたのでした。それでも、弟子たちが残りの分を集めたら、かご12個がいっぱいになるまで、パンと魚が残ったのでした。

 今日の“不思議”な出来事のきっかけとなったのは、ある子が、自分がもっている“これっぽっち”というわずかなものを、イエスさまに差し出したことでした。イエスさまだったら、何とかしれくださるはずだと信じたことがきっかけとなりました。

 考えてみれば、ほとんどの場合、私たちができること・・・私たちが差し出せるものは、わずかで、“これっぽっち”としか思えないものです。でも、イエスさまはそれを差し出してほしいのです。それが、差し出されたから、今日のお話の不思議な出来事が起こったのです。

 明日石橋牧師は手術を受けます。ここにいるほとんどの人はお医者さんでもありませんし、病院で働いている人でもありません。病院で働いている人に比べれば、石橋牧師のがんについていえば、できることはわずかです。みんなはお祈りをしていると思いますが・・・それはわずかで“これっぽっち”としか思えないのかもしれません。でも、イエスさまはそれをありがたく受け取ってくださいます。今日の聖書のお話を読みながら、僕は思わされました。みんなで信じて、私たちの祈りを神さまに差し出そう・・・と。わたしたちの“これっぽっち”を超えて、神さまの出来事が起こされるんだ・・癒しがなされるんだと聖書から言われていると思えてならないのです。

 

石コロ鍋

 「5000人の給食」・・・実際のところは「数万人分の給食」だったのでしょうが、この不思議な出来事がどのように起こったかについて、聖書は全く教えてくれません。イエスさまが、5つのパンと魚2匹を天に差し伸べ、それを下ろした時には、溢れんばかりの食事に増えていたのか・・・そうであったとしたら、数千人分の食事の重さで押しつぶされていたこでしょう。でもそのような物語の流れでさえ、聖書ははっきりとしたことは教えてくれません。そういう意味で、この出来事がどのように起こったかについては、私たちの想像に任されていると言えるでしょう。はっきり言えることは、どんなことを想定したとしても、それは推測でしかないということです。けれども、ヒントは与えられているように思うのです。この出来事のきっかけとなったのは、ある子どもが、自分の食事を自分だけの食事にせず、分かち合おうとしたことだったのでした。それに加えて、「イエスさまだったら、何かを起こしてくださるだろう」という勇気ある信頼と信仰がこの出来事のきっかけとなりました。

 ヨーロッパの各地で語り継がれる「石コロ鍋」という民話を耳にしたたことはありますでしょうか。僕が想像するには、「石コロ鍋」のようなことが、今日の聖書の出来事で起きたのかもしれないと思うのです。もちろんこれは、推測でしからありません。

 「石コロ鍋」という民話ですが・・・ある青年が長旅をしていました。炎天下の中朝から歩き続けていましたので、疲労もあり、お腹が空いていました。日が暮れる気配のところ、ある村にたどり着きました。そこで食べ物を分けてもらえないかと期待していましたが、念のため、彼は道端に転がっていた石コロを拾い、それをカバンの中に入れました。一軒目の扉をトントンと叩きました。 家の主人がでてきたので、「すみません、何か食べるものをいただけませんか?」と尋ねました。主人は答えました「ごめんなさい。ここには食べるものが何もないんだ」と。そう言われ、扉を閉められてしまいました。村の家全てを回りましたが、結局、誰も助けてくれませんでした。最初の一軒目をまた尋ねて、今度はこう言いました「先ほどはすみませんでした。今から石コロを煮て鍋を作ろうと思っています。」主人はびっくりした様子でこう言い返してきました、「石コロを煮た鍋だと?それはたまげたことだ。鍋作りのための寸胴鍋が必要だろ。ほら、これを使ってくれ。」と言われ、大きな寸胴を渡されたのでした。村の広場で、寸胴鍋でお湯をわかしはじめました。すると、2件目の人が寄ってきて「石コロで鍋を作ると聞いたが・・・たまげたことだなぁ」と。ちょうどお湯が沸騰しはじめたので、青年は味見をしました。「塩コショウが足りないようだなぁ」と言いました。すると、2件目の主人が反応しました。「塩コショウならうちにあるぞ。持ってくるからちょっと待ってくれ」と。すぐさま、塩コショウを手にして2軒目の主人は戻ってきました。青年はそれを使って、石ころ鍋の味付けをしました。「ああ、やっぱり入れたほうが美味しい・・・でも、ニンジンとジャガイモがあれば、もっと美味しんだけどなぁ」と言いました。3軒目の主人がちょうど通りかかったので、反応してきました「ニンジンとジャガイモならうちにあるぞ。確か玉ねぎもあったと思う。」このような流れで、村の住民の注目が石コロ鍋に集まり、次々と鍋の具材が加わり、ぐつぐつと鍋が煮込まれました。そして気づいたら、広場に村の住民が皆集まり、鍋だけでなく、愛餐会がはじまっていました。「うちには食料は何もない」と言いはった村人でしたが、気づいたら、皆がある物を持ち寄っていたのでした。鍋を口にしたみなは口をそろえて言いました。「これは今まで食べた鍋の中で一番おいしい・・・石コロ鍋!それはたまげたことだ!」と。

 2000年前のあの日、数千人分の食事が賄われたという出来事で何が起きたのでしょうか。石コロ鍋のような出来事だったのでしょうか。イエスさまを求めて数千人が集まる中で、食べ物を持参したのはあの子ども、たった一人だったのでしょうか。そこにいた全員でなくても、少なからず食事を持っていた人はいたのではないでしょうか。はっきりとは断言できませんがこれだけは言えます、聖書は他の人のことに注目していないということです。注目しているのは、ある子どもが、自分の食事を分かち合ってもいいと思ったことです。イエスさまなら、何とかしてくださるだろうという、勇気ある信仰が注目されているのです。ここに奇跡としるしがあると言えるのではないでしょうか。皆が自分の分を囲おうとする中で、たった一人が、「足りない」という恐れをイエスさまに受け渡したのです。神さまが与えてくださる満たしに期待し、信頼し、信じたのでした・・・ここに奇跡としるしがあると思えてならないのです。

 

神さまは尽きない

 私たちは、そこに居合わせていた群衆と同じように、恐れを持っているのではないでしょうか。これじゃ足りない・・・“これっぽっち”しかないという恐れです。そして、さらに深いところで言えば、神さまは十分に与えてくれないのではないだろうかという魂の恐れ、魂の足りなさ、魂の渇きを抱いているのではないでしょうか。

 6章を読み進めていくと、35節でイエスさまはこういうのです「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」と。私たちの腹を満たす、食事のことを軽んじているわけではありませんが、イエスさまが注目していたのは、その根底では、魂の足りなさ・・・神さましかぬぐえない渇きでした。神さまは尽きることもないし、神さまは足りなくなることはない・・・それゆえに、「足りない」という恐れをイエスさまに差し出すように招かれているのです。神さまが与えてくださる満たしは、私たちの想像をはるかに超えるものなのでしょう。

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 通過しなければならなかった 』

ヨハネの黙示録6:16~17

ヨハネによる福音書4:1〜26

2024年1月21日(日)

 

子どもメッセージ

 今日はある質問から始めたいと思います。「“これが”ないと、僕は生きられないんだ」というものはありますか?“これが”無いと・・・“これが”十分でないと、元気がでず、弱ってしまうというもの。何か思いつきますか?栄養を与えてくれるいろんな食べ物・・・呼吸する綺麗な空気・・・自分を大事にしてくれる家族や友達・・・安心して眠れる住まい・・・そして、水も必要ですね。実は、わたしたち人間の体の7・8・9割は水で出来ていると言われています。水がないと、私たちは生きていけません。水がないと本当に困ります。洗濯もできないし、料理もできないし、トイレも綺麗に保つことができません。能登半島地震の後、蛇口をひねっても水が出てこないという大変な状況になってしまった地域もありました。綺麗な水をもらうために、住民は何時間も列に並んでいた様子がテレビで映っていました。水は生きるために必要な大事なものです。

 今日の聖書のお話では、長旅をしていたイエスさまが、ある井戸の横で休んでいる場面からはじまります。先週のお話でも井戸が出てきましたね・・・入れ物を井戸に降ろして、水を汲みだすことができました。イエスさまが旅をしていた地域は、砂漠ほど乾燥していませんでしたが、あまり水がないところでした。小川がそこらじゅうで流れているわけではく・・・もちろん、現代のように蛇口をひねれば水が出てくるような便利な設備もありません。その井戸から水を汲むしかありませんでした。イエスさまは、長旅で疲れて、井戸の横で休んでいました。時間帯としてはちょうど太陽が真上にある、お昼ごろでした。すると、近くの町に住んでいるある女性の方が、井戸から水を汲みに近づいてきました。イエスさまはその女性に尋ねました・・・「すみませーん・・・水を飲ませてくれないですか?」と。イエスさまは井戸の横で休んでいましたが、水を汲みだすために必要な壺を持っておらず、井戸に備え着けのものもありませんでした。イエスさまに声をかけられて、その女性の方はびっくりしてしまいました。当時、男の人が女の人に声をかけることはとても珍しいことでした。珍しいことどころか、野球で言えば、球場から退場をくらう・・・サッカーで言えば、レッドカードをくらってもおかしくないことでした。知らない男性から声をかけられたこの時点で逃げていってもおかしくないと僕は思います。

 教会の玄関の出たところに、毎日麦茶を置いています。学校帰りに立ち寄ってくれる小学生や中学生がいますが、初めて立ち寄ってくれる人に声をかけると、そのほとんどの人は、僕が近づいてくるのに気が付くと、もうスピードで逃げていきます。逃げ遅れる場合は、“ありがとうございました!”“ごちそうさまでした!”と言い、お茶をこぼしそうになりながら、去っていくことがあります。知らないおじさんから声をかけられると逃げていくほうが自然かもしれません。

 けれども、イエスさまに声をかけられた女性の方は逃げませんでした。むしろ、ただの挨拶どころか・・・割かし深い内容のお話をしました。もしかしたら、その女性の方は、お話をしたかったのかもしれません。ただの挨拶ではなく、深い話をしたかった・・・心と心が通じ合う話をしたかったから、逃げなかったのか・・・。

 イエスさまとその女性の方がお話した内容を見ると、一見、全くかみ合っていないように思えてなりません。イエスさまは、彼女に「水を飲ませてください」とお願いしましたが、次第には、イエスさまがこんなことを言い始めるのです「本当の命を与えてくれる水を、私のほうからあなたに分けることができるのだがぁ・・・」と。これを聞いた女性の方は、頭の周りに?マークだらけだったと思います・・・「うん?本当の命を与えてくれる水を持っていると言いますけど・・・失礼ですが、あなたは、井戸の水を汲みだすための壺さえ持っていません。壺を持っているのは私ですよ。」と。その通り!ナイスつっこみです!

 このような、一見、“ちぐはぐ”で“かみ合わない”会話が続きました。けれども、お話が進むにつれ、イエスさまがいう「本当の命を与えてくれる水」について、この女性は気になってしょうがありませんでした。というのも、イエスさまは、その方は、ずっと求め続けてきた“何か”があることを知っていたのです。“それが”ないと、本当の意味で生きられない“何か”です。最初にみんなに質問しましたよね。「“これが”ないと、僕は生きられないんだ」というものです。その女性の方は心の渇きをずっと持っていたのです。この意味で、イエスさまは「本当の命を与えてくれる水・・・尽きることがない水をあげよう」と言ったのでした。そして不思議と、イエスさまと会話し続けるなかで、その渇きが満たされていくことを経験したのでした。神さまが共におられることを確信したのでした。 

 聖書に言わせると私たちも、今日のお話に登場するこの女性の方と同じように・・・それぞれ心の渇きを持っています。その渇きは食べ物や水で満たすことはできません。神さましか満たすことができない渇きです。

 そして、僕は思うのです。今日の聖書で、イエスさまとの“ちぐはぐ”で“かみ合わない”会話の中で、神さまがおられることを経験したことは、私たちも毎週この礼拝で経験しているということです。私たちは毎週ここに集められて、見えることができなく・・・触れることもできない神さまを、礼拝しています。把握しきれない神さまを、把握しきれない方法で礼拝しているのです。月の第一週目には、パンとブドウジュースを分かち合って、「あ、こらが僕らのために裂かれたイエスさまの体であり、みんなのために流された愛の血である」という不思議なことを確認しています。そのような把握しきれない礼拝の中で・・・「あ、先週も神さまが共におられたし・・・来週も共におられるよね」ということを互いに感じ取っているのではないかと思うのです。そして不思議と、今日の聖書の女性と同じように、神さまが与えてくださる、命の水・・・その満たしを感じ取っていくのです。これは、とても嬉しい、感謝なことだと思わずにいられません。誰かに伝えたくなることなのでしょうね。「ここに本当の命を与えてくれる水があるよ・・・神さまが与えてくださる満たしがあるよ」と。

 

サマリアを通過しなければならなかった

 今日は属にいう「イエスとサマリアの女」と呼ばれる箇所から読んでいます。イエスさまはユダヤ人であり、ユダヤ人とサマリア人の間には大きな溝がありました。20節で、今日のサマリア人の女性が適格に指摘するように、何百年という歴史を辿っていけばサマリア人もユダ人も先祖は同じでした。けれども、イエスさまの時代から160年ほど遡ると、ユダヤ人によって、多くのサマリア人が命を失うという戦争も歴史的背景にありました(マカバイ戦争、前127年)。当時の“順当”なユダヤ人の考えからすれば、ユダヤ人がサマリア人と接触することすらありえないことでした。両者の間に緊張関係があったにも関わらず、4節で聖書はこう語るのです「イエスはサマリアを通過しなければならなかった」と。

 1節には、イエスさまがパリサイ派の一握りの人たちに目をつけられていたことが紹介されていますので、彼らの注目を逃れるために、あえて、ユダヤ人がめったに足を踏み入れないサマリア地域を通ったと理解できるでしょう。でも、僕はその説明に限界があると思えてなりません。サマリア人女性がイエスさまに近づいた時、一目でイエスさまがユダヤ人であることが分かったのですから、ユダヤ人であるイエスさまとその弟子たちがサマリアを通過しているところは、さぞかし目立ったことでしょう。注目を避けるためであったとしたら、サマリアを通ることは、あまりいい選択ではないと言わざるを得ません。だとしたら、なぜイエスさまは「サマリアを通過しなければならなかった」のでしょうか?

 それは、今日のところに登場するサマリア人女性がカギであると思うのです。他でもない、この一人の女性に「尽きることがない命の水」を与えるために・・・このためにわざわざ「サマリアを通過しなくてはならなかった」のです。

 サマリア人女性との、一見“ちぐはぐ”で“かみ合わない”会話を見ると、彼女はかつて5人の夫がいて、そして今連れ添っている人は夫ではないことが分かります(18節)。このようなことを理由に、この女性は“ふしだらな人”であると理解されることがありますが、聖書自体、そんなことは一言も言っていません。イエスさまは、最初から彼女が辿ってきた人生を承知の上で会話をし、その過去について評価をしません。「こうすればよかったのではないか」「今はこうしなさい」の類の道徳的な助言を全く語っていません。イエスさまが唯一注目しているのは、彼女の渇きです。神さましか満たすことができない渇きです。彼女の渇きを満たすために「サマリアを通過しなくてはならなかった」のですから。イエスさまが彼女を、同じ対等な人間として、神さまに心底愛された大切な命として会話する中で、彼女の渇きが満たされていったのです。

 

渇きの背景には

 僕自身、この4節の「サマリアを通過しなければならなかった」というみ言葉に、何度も慰められ、励まされてきました。イエスさまは、わざわざ私たちの渇きを満たすために疲れるまで旅をし、出会ってくださるというメッセージが聞こえてくるのです。私たちの渇きが大きければ、大きいほど、イエスさまはあえて訪ねてきて、救いに招いてくださるのです。

 先日、数年ぶりに、私が20代から親しくしている関東の友人と食事をしました。そして食事をしているところで、彼が最近離婚したということを明かしてきたのです。積み重なったためた思いを、誰かに語りたかったのかもしれません・・・僕は特に深く聞いた訳ではなかったのですが、別れに至った経緯とその後のことも話してくれました。聞いていると、その経緯はとても複雑であり、一言・二言では語れない痛みもひしひしと伝わってきました。次回、僕が東京に行ったときに、また話そうという約束でその日の話を終えました。

 今日のところで登場するサマリア人の女性はどのような理由で5人の夫と別れたかは明確にされていません。死別であったのか、離婚であったのか・・・はっきりとは書かれていません。けれども、これだけは言えます。当時のしきたりで言うと、結婚に際しての女性の権利というものは、全く無いに等しいものでした。男性が結婚を決め、同じように、男性が離婚も決めたのです。女性は男性の決断に従うしかなかったのです。5人の夫がいたということは、5回も別れを経験しなくてはいけなかったということです。自分の意思を訴えることもできず、5回も別れを通らされたのでした。イエスさまが注目した彼女の渇きの背景には、言葉には表せないような痛みと破れがあったのではないかと想像するのです。誰も・何も満たすことができない渇き・・・彼女が自覚していた以上に、その渇きを知っていたイエスさまが、あえて彼女のところに臨んだのです。「尽きることのない命の水」を与えるために出会ってくださったのです。

 

わたしたちが満たされるためのイエスさまのかわき

 今日のテーマは「渇き・・・渇くこと」であると言えるでしょう。不思議にも、イエスさまが十字架にかけられ、命が経たれる直前に最期に述べたのが「わたしは、かわく」でした(19章28節)。これは偶然ではありません。イエスさまは、わたしたちを潤し、満たし、豊かにすために、十字架でかわききったのでした。

 皆さんはどのような渇きを抱いているでしょうか。揺るがない愛情でしょうか。赦されるということでしょうか。どんな時でも励まされることの渇きでしょうか。神さましか与えられない満たしがあり、イエスさまはそれを受け取るようにと招いているのです。命がけでとどけられている、尽きない満たしを受け取ろうではありませんか。

 

 

(牧師・西本詩生)

 

 

 


『 どうなるかわからないからおもしろい 』   

コリント人への第一の手紙11:23~26 

ヨハネによる福音書2:1~11

2024年1月14日(日) 

 

◆ こどもメッセージ

 ある時、イエスさまは結婚式に招待されました。新郎新婦の結婚を、みんなで嬉しくお祝いしていました。ところが、パーティーの途中で、お客様をもてなすための大切なぶどう酒がなくなってしまったんです。すると、イエスさまと一緒に結婚式に呼ばれていた、お母さんのマリヤが、イエスさまに言ったんです。「イエス、あの人たち、ぶどう酒がなくなってしまったみたいで、困ってるわよ」。そしたら、イエスさま、何て言ったと思う?「それが私と何の関係がありますか?まだわたしの出番ではない」って言ったんです。ひどい言い方だよね。でもね、マリヤって、肝っ玉母ちゃんだったみたいで、そんなことでめげないんです。その家の召使いの人たち捕まえて、「あの人が何か言ってきたら、どんなことでもしてやってください」って言っといたんです。すると案の定、イエスさま、召使いたちのところに来て、そこにあった水がめを指さしながら、こう言ったんです。「あの水がめに、かめいっぱいに水を入れなさい」って。そこには、水が100リットルくらい入る大きさの水がめが、6つもありました。つまり、そのかめ全部を水でいっぱいにしようと思ったら、600リットルの水を運ばないといけなかったってことです。当然、ホースもなければ、蛇口もなかったわけですから、井戸から水を汲んで、運ばなければなりませんでした。井戸に降ろすバケツに入る水は10リットルくらいかな。そうすると、60回くらい、バケツを降ろして、引き揚げて・・・ということを繰り返さなければなりません。そして、その水を井戸から家まで運ばなければなりません。本当は、それがどのくらい大変だったか、バプテストリーを使ってやってみたいところだけど、それをやっいてる間に礼拝が終わってしまいそうなので、代わりに、ここに500ミリリットルのペットボトルを持ってきてみました。このペットボトルで、水がめの1000分の1くらいの水が入るということになります。水を運ぶのも、バケツのちょうど1000分の1の約10ミリリットルが入るペットボトルのフタをおうと思います。料理係で手が空いていたのは4人くらいだったかなということで、この4人の人(人形)に手伝ってもらって、あの井戸(ボウル)から水を運んで、このペットボトルをいっぱいにしてもらおうと思います。やっぱり、4人ではなかなか簡単にはいっぱいにはできませんでしたね。時間をかけていっぱいにするしかありません。そこで、もういっぱいに入れたペットボトルも用意しておきました。さて、このペットボトルに入っているのはただの水ですが、足りなくなったのは、ただの水ではありませんでしたね。足りなくなったのは、ぶどう酒です。それで、このペットボトルを振ってみると・・・あれ不思議。ぶどう酒になりました!そう、イエスさまは、かめいっぱいになった水を、足りなくなっていたぶどう酒に変えてしまったんです(もちろん、こんなやり方ではなかったけど)。ここにいたみんなもビックリしたでしょうが、そこにいたみんなも、ビックリしました。そして、これが、イエスさまが最初にした奇跡の業でした。

ただ、ぼくが水の色を変えたのは、みんなをアッと驚かせるためでしたが、イエスさまが水をぶどう酒に変えたのは、そこにいた人たちを驚かせるためではありませんでした。それでも、そこにいたお弟子さんたちは、そのイエスさまの奇跡を見て、イエスさまを信じたって書いてあります。だから、きっとお弟子さんたちは、それからぶどう酒を見る度に、このイエスさまの奇跡を思い出したと思うんです。だけど、やがて、お弟子さんたちは、ぶどう酒を見ると、この時イエスさまがなされた奇跡よりも、もっともっと大事なことを思い出すようになったんです。それは何だと思いますか?お弟子さんたちは、ぶどう酒を見ると、イエスさまが十字架にかかって、私たちの罪のために流してくださった血を思い出すようになったんです。罪のないイエスさまが、あの十字架にかかって、血を流し、私たちの罪を赦してくださったってことを、大切に思い出すようになったんです。ぼくらも月に一度主の晩餐式の時を過ごすけど、その中でイエスさまの裂かれた肉を思い出すためにパンが・・・、流された血を思い出すためにぶどう酒が配られるのと一緒です。イエスさまが私たちのために流された血を、みんなも大切に思い出してください。

 

◆ 想定外の歩み

 今日は『成人祝福礼拝』としてこの礼拝を過ごしています。20才の頃と言えば、ぼくは広島で大学生活を送っていましたが、当時、20数年後の自分がこんな生活を送っているなどとは、想像だにしませんでした。当時のぼくは、自分は小学校の教員になるものだと信じて止みませんでしたし、故郷である福岡で生活すると信じていました。牧師になることも、札幌で生活することも、幼稚園で働くことも、6人の子どもが生まれることも、PTA会長になること、病気になって手術を受けることも、何もかもが想定外で、自分では思いもしない展開でした。それでも、ぼくにとっては想定外でしかなかったこれまでの歩みを振り返るにつけ、思いもしなかった形で神さまの御業に用いられてきたことを思わされます。そして、「神さまのために働くぞ!」と意気込んだ時には空回りし、つまずいてしまったものの、むしろ「なんで、こんなことになるんだろう・・・」と戸惑った出来事を通して、神さまが用いてくださっていたということが、何度となくあったことを思い返します。大学生の時には、「小学校の先生になって、神さまが与えてくれた賜物を、神さまのために存分に用いたい!」と本気で願っていましたが、いまだに大学で取得したいくつもの教員免許のひとつとして活用できてはいません。そうではありますが、その頃に学んだことは、牧師になってから、神さまによって、不思議な形で用いられてもきました。教会に来る子どもたちとのやり取りもそうですし、幼稚園での働きもそうですし、PTA会長としての地域との交わりもそうです。神さまのなさることは、想定外で、不思議で、美しいのです。

 

◆ 意味もわからずにかめに水を入れた召使いたち

 カナという町で行われていた婚礼の席で、客に出すぶどう酒がなくなりそうだということを受け、イエスさまは召使いたちに「かめに水をいっぱいに入れなさい」と指示されました。でも、その行為に一体何の意味があるのか、その時はそこにいる誰にもわからなかったはずです。なぜなら、その水がめは、ユダヤ人たちが身をきよめるための水を入れるためのものでした。きっと婚礼の席に皆が集まってきたタイミングでは、この水がめの水を使って、丹念に手を洗ったことでしょう。でも、宴の途中で身を清める必要はなかったはずです。つまり、そのタイミングでは、この水がめの水は、そこにいる人たちには、不要だったということです。それにもかかわらず、6つあった水がめに、水をいっぱいに入れるよう指示を受けたのです。600リットルもの水を、井戸から汲み上げ運ぶことは、想像しただけでも大変です。しかし、意味はわからないものの、召使いたちはイエスさまの指示に従って、水を皆で運び、その水がめをいっぱいにしたのです。きっと役割を分担しながら、その働きに一身に仕えたことでしょう。すると、結果的に彼らは、その水がめの水が最上級のぶどう酒に変えられるという、イエスさまの奇跡の御業を、共に目の当たりにすることになるのです。

 

◆ 主の御業⇒礼拝⇒主の御業

 ただ、召使いたちは自発的に水を運んだわけでもなければ、その意味を理解した上で水を運んだわけでもありませんでした。彼らは、それぞれの仕方で「かめに水をいっぱい入れる」ことをなしただけでした。周りにいた人たちにも、当然、彼らの行為の意味することはわからなかったでしょう。しかし、だからこそ、いっぱいになった水がめの水が、イエスさまによってぶどう酒に変えられた時、彼らはそのことを、驚きと喜びをもって受け止めたのではないでしょうか。そして、その時は意味を見いだせなかった水くみが、その奇跡の御業のための必要な働きであったことに気づかされた彼らは、イエスさまの偉大さをほめたたえずにはいられなかったのでしょう。そして、その後、弟子たちは、イエスさまの更なる御業に期待を抱きつつ、イエスさまに仕えていったのだと思うのです。ぼくらも、そのように日々、イエスさまの御業と恵みとを目の当たりにさせられるからこそ、このようにして毎週毎週「主を礼拝する」のです。そして、その礼拝の場から、また新しく起こされる神さまの御業に期待をもって、それぞれの場所へと派遣され、それぞれの場所で、それぞれの仕方で、わからないながらも神さまの御業に仕えていくのです。それが、ぼくらに与えられている、礼拝者としての大切なサイクルです。

 

◆ 主の流された血潮としてのぶどう酒

 でも、同時に、このぶどう酒の意味は、ただ破たんしかかった宴を助けるための存在ではありませんでした。イエスさまの弟子たちにとって、当初、このぶどう酒は、このカナの婚礼においてイエスさまのなされた奇跡を思い起こす存在・・・、つまり、それは彼らにとって、イエスさまを信じるきっかけとなった出来事でもあったわけですから、そのことを大切に思い起こす存在となったはずです。

 でも、やがてその弟子たちにとって、このぶどう酒のもつ意味合いは、まったく違う意味合いへと転じていくのです。それは、あの最後の晩餐の席で、イエスさまがこう語られたからです。「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。弟子たちは、やがて、このぶどう酒を見るごとに、イエスさまがあの十字架の上で流された血潮を思い起こしていくのです。あの時、イエスさまのなさる驚くべき御業に自らも参与することを、ワクワクしながら喜んだ弟子たちは、しかし、その主の流された血潮を、痛みをもって思い起こすようになるのです。しかし、だからこそ深い深い感謝をもって、真の意味でそのイエス・キリストの救いの御業にこそ、仕えていくようになるのです。

 

 

(牧師・石橋大輔)

 

 


『 驚くのはまだ早い 』

ヨハネによる福音書20:31

ヨハネによる福音書1:43〜51

2024年1月7日(日)

 

子どもメッセージ

 明けましておめでとうございます!

 楽しいお正月でしたか?おいしい物をお腹いっぱいになるまで食べたり、久しぶりに親戚に会ったり、テレビの前でぐうたらしたり、遠出したお友達もいたかもしれません。楽しいことをしていると、時間が過ぎるのがとても早いですよね。またその反対はどうでしょう。つまらないなぁと思う時・・・そういう時は時間が過ぎるのがやけにゆっくりですよね。時間の長さは同じはずなのに、時間が過ぎるのが早く感じたり、遅く感じたりするのって不思議ですね。

 先日、ある大学生とお話をしました。その人は、あと1・2カ月で大学を卒業します。大学を卒業したら、仕事をすることになります。今までの学生としての毎日とは、また違う時間の過ごし方をすることになるということです。そして、その大学生に、僕はこんな質問をされました。「20歳になるまでの20年と、20歳から40歳までの20年は、どっちの方が(時間が過ぎるのが)早いんですか?」。みんなにとってピンのこない質問かもしれませんが、こんな質問と同じようなものです。幼稚園での1年と、小学校での1年・・・比べたらどっちの方が早いですか?

 この質問を受けて僕は考え込んじゃいました。最初の20年間とその次の20年間・・・どっちも時間が過ぎるのが早かったような、ゆっくりだったような・・・どっちとも言えないと思いました。ですので、僕はこんなふうに答えました。「どっちが早かったかは分からないけど・・・20歳から40歳までの20年の方が、とても濃い時間だったと思う。大学を卒業してからの方が、沢山の事が詰まった期間だったと思う。というのも、僕は26歳になってから、初めて自分の思いで教会に行くようになり、そこらへんから、『たいくつになる』ことはほとんどなかったような気がする。」。こんな風に答えたんです。自分の思いで教会に行きはじめ、イエスさまのことをもっと知りたいと思えたその時から、とても濃い時間・・・たいくつにならない時間を過ごしてきたと思うのです。

 今日の聖書のお話は、ナタナエルという人がイエスさまと出会う場面です。ナタナエルはずっと救い主を求めていました。ナタナエルの毎日の祈りはこんな祈りだったのかもしれません「神さま、今日も助けてください・・・今日一日を何とか乗り越えられますように」と。というのも、2000年前、イエスさまが暮らした地域でも、頻繁に戦争が起きていました。雨が少ない年には、十分に食べ物が取れず、毎日お腹を空かせながら過ごすのが当たり前でした。助けとなる食料や物資が届けられることなどありませんでした。自分たちだけで、大変な毎日をどうにか乗り切るしかなかったのです。そういう意味では、救い主を求めていたのは、ほとんどの人だったのでしょう。そのように救い主をずっと求めていたナタナエルのところに、ある日、友人のフィリポが走って来ました。息を切らしながら言ってきたのです、「ナタナエル!でかしたぞ!聖書が約束している救い主が見つかった。ナザレ村から来たイエスというんだ」。ナタナエルはこれ聞いて、嬉しい反面、がっかりしたような気がしました。救い主が見つかったという嬉しさと同時に、そんなはずがないと思い、がっかりしていたのでした。ナタナエルはとてもまじめな人でした。救い主がナザレ村から来ると、聖書のどこにも書かれていないことを知っていたのです。フィリポが言うことを信じたかったんですが、「救い主がナザレ村から出ただと?ナザレ村は聖書のどこにも出てこない。ナザレから何もいいものが出るはずがない・・・」と思えたのでした。

 それでも、友人のフィリポは諦めませんでした。すぐ歩けるところにイエスさまがおられたので、フィリポはナタニエルにこう言いました、「そのイエスという男は、近くにおられるのだから、自分で会って確かめればいいじゃないか」と。フィリポの一声に励まされて、ナタナエルはイエスさまのところに向かいました。「確かめると言っても・・・なんて聞けばいいんだろうか」・・・歩きながらそんなことを思い巡らしていたところ、なんと、イエスさまの方から声をかけられたのでした。まだ一度も会っていないはずなのに、イエスさまが、ナタナエルを知っていたのです。このことにナタナエルはとても驚きました。驚くあまりに、目の前におられたイエスさまが救い主であることを信じたのでした。そんな驚いているナタナエルにイエスさまは言いました「こんなことで驚くのはまだ早い。私があなたを知っているのは当たり前だ。それよりも・・・こらからもっとすごいことを見ることになる」と。

 聖書はとても分厚いものですが、僕はこの場面がとても好きです。ナタナエルに言われた、イエスさまの言葉が、僕らにも言われていると思うから好きなんです。「驚くのはまだ早い。私があなたを知っているのは当たり前だ。それよりも・・・こらからもっとすごいことを見ることになる」。と、今日の僕らが、イエスさまに言われている気がするんです。

 26歳の時に、僕は自分の選びで教会に行くようになり、その時からイエスさまをもっと知りたいと思いはじめました。先日、ある大学生から質問されるまでは意識していませんでしたが、イエスさまのことをもっと知りたいと思えたその時からとても濃い年月を過ごしてきた気がするのです。全てが思い通りに問題なく進んできたという意味でもなく、悩みが無くなったわけでもありません。むしろ、悩みについて言えば、悩みが増えたような気がします。なぜなら、自分の悩みだけでなく、いろんな人の、いろんな地域の悩みに目が開くようになったからです。でもその中で、思わされるのは「イエスさまが言ったことは本当だ。確かに、もっとすごいものを見せられてきた」と思うのです。たとえば、一緒に悲しむことで、そこで一緒に祈ることで、神さまの深い慰めを感じるという経験を与えられてきました。僕だけの考えだったら、見つけられなかったすごいことだと思います。イエスさまを信じて、イエスさまをもっと知りたいと思うことで「もっとすごいものが見えてくる」・・・この言葉はいつも覚えていたい聖書の言葉・・・イエスさまの言葉だと思うのです。

 

 “めでたい”とは言い難い年の始まり

 年が明けて、例年と変わらず「明けましておめでとうございます」という定型句で挨拶を重ねてきました。このような公の場で口にすることではないのかもしれませんが・・・本音を言うと、今年は、その“めだたい”言葉が喉に引っかかってしまう気がしてなりません。1日には大きな地震が起こり、2日には、新千歳発の飛行機の事故がありました。そして私たちの教会の4代目の牧師・・・30年近くここで牧会をされた加藤享牧師が2日の未明に召されました。皆さんも、似たようなことを感じているのではないでしょうか。私の両親は、シンガポールに滞在していた際、そして、日本に帰国してからも加藤牧師に本当にお世話になりました。僕も、神学校に行く前に、加藤享牧師が牧会されていた川越教会を訪ね、祈られ、励まされ西南学院大学に向かいました。私たちの教会も含めて、数多くの教会で大きな喪失を感じているに違いありません。

 

 加藤享牧師の生涯を振り返って

 加藤享牧師のご長男の加藤誠牧師が、気を使ってくださって、こんな文書を送ってくださいました。加藤享牧師の生涯を完結に物語っていますので、紹介します。

 

札幌バプテスト教会の敬愛する皆さま

主にある希望のもとで、新しい年をお迎えのことと思います。昨日1月2日未明、父加藤享が主の御許に召されました。1951年19歳の時にイエス・キリストの恵みに捕らえられて70年余、連盟の諸教会の皆さまとの信仰の交わりに生かされ、協力伝道の働きに生かされた生涯でした。母喜美子と共に歩んだ日々に、主があらわしてくださった豊かな慈しみに深い感謝を覚えております。特に目白ヶ丘教会、札幌教会、旭川東光教会、シンガポール国際日本語教会の皆さまには、深い交わりをいただき、さまざまな形でお祈りをいただいてまいりましたことを、家族として心から感謝申し上げます。昨年11月に左大腿骨(だいたいこつ)骨折(こっせつ)のため入院し、三週間で元気になって退院したのですが、その一週間後に誤嚥(ごえん)性(せい)肺炎(はいえん)で再び入院。口からの栄養摂取(せっしゅ)が難しくなり、徐々に弱っていきました。クリスマス前から毎日家族が入れ替わり付き添い、アメリカやタイからも兄弟が帰国し、聖書を読んだり賛美歌を歌ったり、マッサージやエステをしたり、父との最期の時を、主イエスの大きな恵みを感謝しながら共に過ごせたことは大きな大きな恵みでした

 

また、加藤享牧師が牧師としての生活に幕を閉じることに際して、川越教会で語られた説教も送られてきました。その説教の中で、自分の人生を振り返り、最後の最後にこのように締めくくっていました。

 

私(加藤享)は、自分のこれ迄の歩みを振り返り、自分自身をそっくり、そのまま主にお捧げし、主の導きに従って歩むことこそ、意義ある生涯を送る秘訣だと、申し上げたいと思います。

 

 意義ある生涯を送る秘訣とは、ありのままの自分を、そのまま主にお捧げし、主の導きに従って歩むことであると言われたのです。恐らく、今日の聖書に登場するナタナエルも、加藤牧師の言葉にアーメンとうなずいたことでしょう。

 ナタナエルは半信半疑でイエスさまを訪ね、そのままで、イエスさまに受け入れられたのでした。それからの人生は、イエスさまの弟子になり、イエスさまに従っていく人生でした。決して挫折がまったくない日々ではありませんでした。他の弟子たちと同じように、十字架でどん底を通らされたのでした。でも、そこで終わりませんでした。再び復活のイエスさまに出会わされ、再びイエスさまに従う人生を辿ったわけです(21章1~14節参照)。イエスさまが言われたように「もっとすごいことを見る」人生だったのです。自分だけで生きるのはなく、神さまに生かされていることを噛みしめる日々だったのでしょう。イエスさまに出会わされたことで、多くの人と共に生き、互いに助け合い、その中で神さまの支えを見たのでした。

 単純に“めでたい”とは言えない年はじめとなりました。だからこそ、心に刻みたいのです。自分自身をそっくり、そのまま主にお捧げし、主の導きに従って歩むこと。自分だけで生きるのではなく、互いに助け合い、励まし合うこと。ここにこそ、意義ある生涯があることを。その歩みの中で、神さまに生かされているという素晴らしいものを共に見出していきたいと思うのです。

 

 

(牧師・西本詩生)