説教要約

3月17日

『 言えなくても、神様は知っている 』

詩篇139:1~10

 

 神は全知全能である、といわれます。「全知全能」とは、「知らないことは一つもなく、できないことは何もない」ということです。それは聖書の神が何でも自分の思うままにしようとする暴君であることを意味するのではありません。神の全能は、人間には不可能なことも可能にする、ということで、人を救うために、神がご自身を差し出すということに表されます。

 

 神の全知も、将来のすべてを既に知っているということを意味するのでもないようです。詩篇139篇は詩人が神の全知について語りますが、そこで知られていることは詩人の過去と現在です。神は私たちが歩んできたその人生と、その時の思いをことごとく知っておられるのです。私たちが立つときも、座るときも、歩むときも、休むときも、つまりどんなときも私たちのことを知っている。それも、私たちの行為だけでなく、私たちが考え、感じ、思っていることのすべてをことごとく知っておられるのです。

 

 神が私のすべてを知っておられるのは、神がいついかなるときも私から離れることがないからです。詩人はどこへ行っても神から離れたり逃れたりすることができないと語ります。つまりどこにいても、神が離れていってしまうことがなかったのです。どんな状況でも、私と共にいて、私を見守り、私のどんな思いも知っておられるのが、神なのです。しかも神は、私たちが言葉にすることができない思いも知っておられます。私たちは普段、思ったことを自由に語ることはできません。その場の空気を読んだり、そのときの相手によって語ることを選んだりします。受けとめてもらえるかどうかわからない思いは語られずにいたり、そもそもその時の思いをどんな言葉にしたらいいのかわからなくて語られなかったりします。言葉にされない・できない思いは簡単には伝わりません。そんな思いも、神はすべてを知り、受け止めてくださっています。その思いがいいとか悪いとか、受け入れるかどうか、ということを抜きにして、神は私たちの思いのすべてを知り、すべてを受け止めてくださる。そのようにして、私たちの重荷をも受け止め、共に担ってくださるのです。人の思いのすべてを受け止めることは私たちには難しくても、神にはできるのです。神にできないことはないのですから。

 

(3月17日/副牧師・杉山望) 


過去の説教要約
3月10日 レッツ後ろ向き!! 詩篇37:1~5
3月 3日 赦せないのに赦された マタイによる福音書6:12
2月24日 引っ込んだ道理 ヨハネによる福音書6:5~15